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一介の浪人のつぶやき

はじめまして。「定年」という「年齢差別制度」によりこの度お役ごめんになり一介の浪人になりました。そこで、新たに私もブログを始めました。これから、折を見て「一介の浪人」としての思いを日本語と英語でつぶやきますのでよろしくお願いします。まず最初にホットなトピックから始めます。

 

一介の浪人のつぶやき憲法改正

憲法改正の論議が敗戦後初めて現実味を持ってきた。そこで、私なりに改正すべき憲法の条項を列挙してみようと思う。

        I.
1
)まづ第一に憲法前文。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というオリーブ・オイルとバターで煮詰めて創り出された「虚構の世界」を除き、日本の歴史と文化に基づくものに書き直すことだ。
2
)その前文と対になって「平和主義」を担っている憲法第9条第2項の削除だ。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という、敗戦後に戦勝国から徹底的な日本の弱体化・無力化のために規定された第9条第2項だ。それを世界に類のないものだなどと後生大事にしているわけが分からない。
3
)第68条 にある「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」という規定は、「衆議院」と「参議院」を備えている二院制の存在理由を否定するような結果を生み出している。「参議院」が良識の府としてその議員の任期が6年と定められ「衆議院」と違って解散がないからこそ政局から離れた所で「衆議院」とは違った独自の見識を実践するところに二院制の価値があるのだ。従って、第68条の国務大臣は「国会議員の中から選ばれなければならない」という規定は「国会議員の中から」を「衆議院議員の中から」に改正しなければならない。

4)憲法第9条第2項の削除を既に求めたが、改正を必要とする自衛隊に関する条項は第9条第2項だけではなく、現在の「自衛隊」が真に責任ある民主的な軍隊となるためには、それに対応する改正が第18条と第76条にも必要である。憲法第18条は、「犯罪による処罰の場合を除いては、」個人の意思に反する苦役に服されないことを規定している。たとえ徴兵制がなくとも、非常時の際には、これでは誰一人も召集することは出来ない。必然的に緊急事態基本法を整備できるように憲法に新たな規定を設ける必要がある。

5)憲法第18条の問題よりさらに由々しき問題は第76条第2項である。そこには、「特別裁判所は、これを設置することができない」と規定されており、この第76条第2項の下では、自衛隊には軍法会議が存在しえない。これは世界の軍事史上に例をみないことである。自衛隊は、建前上「軍隊」ではないので、その隊員は軍人としての地位を持たないし、その実質的な地位に見合う取り扱いをも受けることがないのだ。世界中で自衛隊だけが民間人としての法的権利を享受し、義務を負っているのだ。憲法第9条第2項が改正されるとなれば、当然なこととして軍人の地位とそれに付随する権利義務は一般の民間人のそれとは違うことになる。

                             II.

  今の「自衛隊」を「国防軍」に変更するということは、単に名称を変えることではない。日本の常識とされ、しかし世界の非常識である、その最たるものは、戦勝国から押し付けられた憲法第9条第2項だ。この「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という規定は世界に類を見ない。国連加盟国193カ国のうち日本だけだ。「人類の未来を先取りするすばらしい規定だ」などと煽てられ、国としての矜持を喪失し、国家が国家として成り立つための必須条件である武力の排他的占有権を放棄する規定を、なぜ後生大事にしているか分からない。主権国家としての権利を自ら放棄するような規範はグローバル・スタンダードになりえないのだ。

自衛隊の行動は自衛隊法で「警察官職務執行法」の準用によって拘束されている。警察予備隊という不幸な出生歴の証を今でも引きずっているのだ。「軍隊」であるべき「自衛隊」をあたかも警察と同じ一線上にあるように処遇するのがおかしい。警察とはその目的が全く違う自衛隊が創設されても、その行動を規制するのに敢えて「警察官職務執行法」を準用しいるのは憲法第9条第2項の存在である。警察官職務執行法と憲法第9条第2項は切っても切れない関係にあり、それぞれ表裏一体である。軍隊でないから警察としたにすぎないのである。

警察予備隊も、保安隊も、警察組織としての能力では対処できない事態を補完する組織として作られてきたので、その法体系は警察と同じように組織がとるべき行動、行使すべき権限を法律で明示することを前提とするポジティブ・リスト方式を採用している。保安隊を引き継いだ自衛隊も、その出自からして、警察組織の法体系と同様にその執るべき行動・権限を一つ一つ法律で規定するという法制上の拘束を引き継いでいることに諸々の不都合な問題・欠陥が発生しているのだ。この特異な状態は自衛隊をして責任ある迅速な行動をとることを著しく困難にしており、現場の指揮官に対し理不尽な責任を負わせている。19769月に起きたミグ25亡命機飛来事件に対処した一線の指揮官の苦悩と自責の念を考えればよい。 

その結果、現状では、一つの新たな行動に関して新しい法律を作り出さなければならない。法律に明示的に権限が規定されていなければ何もできないという愚鈍な法理により国防自体が危険に晒されているのだ。同じような内容の法律をいつまで増殖して行けば満足するのであろうか。それでも、不測の事態は発生するのだ。法律はさらに増大するのみならず、既存の法律との整合性を図るために、さらに複雑化する。

III.

 マックス・ヴェーバーの格言のごとく、主権国家が主権国家たる所以は、「国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされている」からである。よって、元来、一国の軍隊はその国防という目的を遂行するための行動において、「原則無制限」であり、その上に特定の禁止項目を付帯した権限を持つのが古今東西国際的に一般である。警察の目的と任務を踏襲したところに現在の自衛隊の根本的な問題が内在するわけで、本来ならば自衛隊は軍隊として、基本的には国際法に服する義務を負うネガティブ・リスト方式の法体系の下で法整備を行うべきである。それには、憲法第9条第2項の削除は必須である。

 為政者が最初の警察予備隊からして、本当は「軍隊である」からこそ、「日蔭者」として扱い、世間の理解を得る努力を怠り、と同時に「軍隊でない」ことを証拠立てるために「軍隊である」ことを彷彿させるものを悉く払拭することに懸命だったからだ。軍隊は警察予備隊、保安隊、そして自衛隊となり、戦車は特車、歩兵は普通科、大佐は一佐、少尉は三尉、兵士は隊員、士官は幹部、駆逐艦は護衛艦という具合にだ。

このような自縄自縛の構造は、国の防衛のために一命を懸けて任務に精進するものを厄介者に貶め、凜とした身の振り方の形成を阻害している。国防の任務に励む者が誇りを持って、胸を張って自らの責任を全うできるようにしなければならない。そのためにも、自衛隊は国の正式な軍隊として、その法体系をネガティブ・リスト方式に基づく法制度に整備して行くべきである。

自由な民主主義の国とその国民の生命と財産を守る民主的な軍隊は日の当たる開けた所にいなければならない。そうでなければ、防衛省・自衛隊の責任を追求するために必要な情報も手段も国民は失う結果になる。「日蔭者」として陰湿な暗いところに追いやられた自衛隊は、密室のなかで、既に「防衛省の“天皇”」を排出した官僚の支配に陥ることになるのが落ちであろう。「文民統制(シビリアン・コントロール)の原則」は官僚の支配を助けるためではない。民主主義国において、国民の代表である文民の為政者が軍隊に対して優先権を持つという民主主義の基本原則である。自衛隊を新しい軍隊として正統性を与え、日の当たる広場に出すことによって、この文民統制の原則を実行に移すことができ、それを遵守することができるわけである。

戦後政治をを終焉させるために、日本が普通の国として国際社会で一つの主権国家として名誉ある地位を占めるためにも憲法の改正は必須である。