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シリア危機を醸成してきたものと現在の硬直状態の理由

シリア危機を醸成してきたものと現在の硬直状態の理由

鈴木英輔

 

 シリアはかつてのオスマン・トルコ帝国の統治下にあったのです。「帝国の統治」といっても19世紀に猛威を振るった「帝国主義」の植民地帝国とは違い、ローマ帝国、サラセン帝国や支那の帝国のように「世界文明帝国」として、その統治下におかれたさまざまな領域国は、帝国の支配関係に抵触しない限り、かなり自由に自らの信奉する宗教を実践し、その言葉を話し、昔ながらの生活を営むことができていました。オスマン・トルコ帝国は、17世紀には西アジア、中央アジア、北アフリカ、東ヨーロッパを囲みいれる膨大な多民族帝国に発展したのです。その一大帝国も徐々に勢力を喪失し始め、1853年-56年のクリミア戦争を経てさらに国力を衰退していきました。 帝国の解体に直接的な原因となったのが第一次世界大戦でした。その戦後処理の一環として敗戦国オスマン帝国の非ヨーロッパ領土の分割をフランスとイギリスが断行したのです。これが1916年のサイクス=ピコ協定と呼ばれるものです。この協定の下で現在の中近東の国々の国境が決定されていきました。ヨーロッパの帝国主義国家が戦利品を自国の利権に都合のいいように分かち合ったのです。シリアは1946年の独立までフランスの委任統治領としてフランスに治められていたのですが、散在していて都合の悪いクルド人に対しては領土の割り当てもされずに無視したのです。その結果、クルド人はシリア、イラフ、トルコ、イラン等に少数民族としての生活を強いられています。

社会改革とか開発・発展など、みな進歩的で、響きがよく、一般的に歓迎すべき良いものであるという印象があります。しかし、同時に「開発」や「経済発展」の事業の対象とされた人たちにとっては、それは自分たちの文化・社会慣習の強制的な解体作業に等しく、まさにマーシャル・マクルーハンが「自分自身を自ら切断すること」と呼んだことです。マクルーハンWar and Peace in the Global Villageで述べたように、

「すべての社会変革は、新しい技術的進歩が人の五感の機能様態に与える影響によって引き起こされるものです。大きな技術進歩はすべて人の内面的な生活を混乱させるため、元の古いイメージを回復しようとする企てとして戦争は必然的に起こるのです。」

 シリアにとって、第一次世界大戦オスマン帝国の崩壊によるフランスの植民地統治の始まり、つまり異文化と異民族の支配は、伝統的な部族社会とその慣習の下での生活を営んできた部族民にとっては衝撃的な出来事だったのです。異民族の支配をさらに確固たるものとしたのが石油の発見でした。イギリス、フランスの利権は新たな石油利権が絡み合い植民地支配権をさらに強化して行ったのです。そこには異民族の支配者と地元の有力者との間には互恵関係が存在しており、地元の一般住民との距離は拡大するのが常でした。シリアは人口の70%がスンニ派ですが、アサド大統領の一族は宗教的には少数派であるシーア派の中のさらに少数派であるアラウィー派に属しています。サウジアラビアのサウード王一族はスンニ派の中のワッハーブ派を信奉しており、隣国のカタールも同様です。サダム・フセイン政権崩壊までのイラクではフセイン一族を中心とした少数派のスンニ派が人口の7割を占めるシーア派を支配してました。

 一口に「イスラム教圏」といわれても、それぞれの国には少数のキリスト教を信奉する国民もいるわけです。歴史が古いだけにキリスト教徒もさまざまな宗派に分岐して存在しているという複雑さを抱えているのです。そのような国内の混迷した根強い宗派の利害関係を整理し実効的に治めるのは容易なことではありません。そのために、非宗教的で世俗的な「政教分離」政策を徹底して強制的に押し付けるという専制政治を遂行したのです。イラクやシリアがその典型でした。そうすることによって「サイクス=ピコ協定」が造り上げた領土的秩序を維持してきたのです。そうした「サイクス=ピコ秩序」の上に第二次世界大戦後に築き上げられてきた中東の「バランス・オブ・パワー」を崩したのが2003年のイラク戦争なのです。その結果は、単にこれまで自分らの「国」を持っていなかったクルド民族がイラク北部山岳地帯に「自治領」を獲得したということだけではなく、イラク戦争終結直後の占領統治は、それまで押し込められ、封印されていた国内の部族間、宗派間の長期に渡って鬱積した不満、堆積した未解決な紛争、因縁などのはけ口を造り出したことなのです。部族の血縁関係、宗派の紐帯は異民族により勝手に引かれた「国境」を超越します。国内の利害関係が直接的に国外の利害関係に「国家」という枠組みを越えて結びつくのです。

徹底した政教分離により近代化を果たしたトルコも今や積極的に同じスンニ派の人口を抱えるサウジアラビアとカタールという絶対王制国と一緒にシリアの反政府派を支援しているし、いっぽう、イラクでは、サダム・フセイン政権崩壊後に初めて政権を手にした多数派のシーア派は、シリアの多数派であるスンニ派の反政府側の勝利は、イラクの反政府側であるスンニ派を勢いつけると憂慮しているのが現実なのです。中東で最も政治的に不安定で脆弱な隣のレバノンでは、その事実上の権力を握っているヘズボラ(シーア派の原理主義組織)は、世俗主義を実践するアサド政権が支配するシリアこそがヘズボラの生存に必要だという認識があり、積極的にアサド政府軍に軍事的に加勢をしているのです。シリア内の熱烈なアサド政権支持者がキリスト教徒であることは、多数のスンニ派の勝利が自分の宗教の自由どころか生存を脅かすことになるということをキリスト教徒が肌に感じているからです。これはイランがアサド政権を支持することと同じような論理です。

このようにイスラム圏内の宗派間の権力闘争という見地から考えれば、2010年から始まったチュニジアジャスミン革命に端を発した「アラブの春」は「民主化」というようなきれいごとではなく、スンニ派原理主義陣営のシーア派支配政権に対する巻き返し闘争であるとも考えられるのです。さらに問題を複雑にしているのが、もうひとつの国境なき「非国家組織」アル・カイダの介入です。 

これほどシリア国内外の利害が公私の違いなく錯綜しているとき、他の国は国家・政府レベルでの利害調整だけでは対外政策を決定できないのです。トルコのように同じ多数派のスンニ派の反政府陣営に肩を持てば国内の支持を得られずにいるのです。欧米諸国にしてもアサド後の「政権」の姿に原理主義者やアル・カイダの影がちらつき、信頼できるような次の政府の輪郭が浮かび上がらないというジレンマに悩まされ、なんら有効的な手の打ちようがないのが現実でしょう。

国内の政治問題が内戦となり国際問題になってから久しいのに、アサド政権の存立に中東における国益をかけるロシアと中国は、国連憲章2条第7項(国内管轄事項)を楯に常任理事国として拒否権を行使して安全保障理事会を機能させないという現実があります。これを「大国一致原則」が生み出す最大の欠陥とみなすか、それとも「大国一致原則」があるおかげで、人間社会も国際社会も同じように、多様性・多元性が護られていると考えるべきでしょう。これこそ、高山岩男がいう「歴史的世界の多様性を歴史的事実として承認」して「無自覚な世界一元論の前提を捨て去」ることだと思います。(鈴木英輔「国家と『世界市民』とグローバル・スタンダード」『総合政策研究』2013年、第43<http://hdl.handle.net/10236/10945>参照。)###