日本の「自衛官」が殉職する時は・・・

 

日本の「自衛官」が殉職する時は・・・

                                                              鈴木英輔 

  アメリカ合衆国と「特別な関係」を持っていると自負する歴史的な同盟国である英国は、2001年から始まったアフガニスタン戦争に参加している北大西洋条約機構NATO)の加盟国のうち、米国を除けば、派遣兵士の数では最大の7000名も2009年時点で送り出していました。2009年の夏からの死傷者の数はタリバンの攻撃が激しくなればなるほど増えて、毎週頻繁に戦死者の発表があったほどでした。その年九月末までの英国兵の死者は既に218名を超えていました。それから4年後の20131223日時点では、戦死者の数はさらに229名を加えて447名に跳ね上がっていました。これが「特別な関係」を持つ同盟国英国の姿です。 

 日米関係、特に安全保障の分野に関して著しい影響力を持っていると言われるリチャード・Lアーミテージ国務省副長官は、その2000年の「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」という特別報告書(第一次アーミテージ報告)で「日米関係のモデル」としているものは米国と英国が持つ「特別な関係」であると言明しています。さらに、その「特別な関係」を構築していく上で、日本が集団的自衛権の行使を禁じていることが日米の「同盟国間の協力にとって制約」となっていると指摘しているのです。同盟国英国を含めて、NATO加盟国のアフガニスタン戦争への参加はNATOワシントン条約5条に基づく 集団的自衛権の発動により行なわれてきたのです。 

アフガニスタンからの英国兵士の戦死者は、英国空軍の輸送機でロンドンから西に車で二時間ほどで着くラインハム空軍基地に、無言のままに戦地から帰還してきます。その度に、この基地では既に慣例になってしまった戦死した兵士を迎える儀式が厳かに催されるのです。空軍基地内での身内だけの式を済ませると、英国国旗に包まれた「殉職した兵士」が納められている棺は霊柩車にのせられて、供回りに護られながら最寄りのウートン・バセットの町の大通りを教会の鐘の響きの中を静かに、ゆっくりと通って行くのです。その間、聞えるのは路の両側に参列した在郷軍人、商店街の主人と店員やその町で生活している一般の人たちからのすすり泣きだけなのです。一般の市民が路の両側を埋め尽くして国のために犠牲となった同胞に対して敬意を表するのは極自然なことなのです。この様子は毎回、全英にテレビで実況放送されるのが慣例なのです。 

この葬儀が行われる日には、新聞、ラジオ、テレビに戦死した兵士の名前と略歴が発表されるのです。戦死者の内には若い兵士の割合が圧倒的に多いのです。29歳以下が78パーセントを占めていました。但し、英国国民は大多数がアフガニスタン戦争を支持しておりましたので、遺族の批判は、戦いに必要な予算と機材を十分兵士に与えていない、という点に向けられていました。イギリスの兵隊は徴兵されたのではないのです。すべて兵であろうとも士官であろうとも皆、志願兵なのです。戦場に行った兵士は最悪の場合には自らの生命を落とすと云うことを覚悟していたのでしょう。亡くなった兵士のなかには同僚を助けようとして命を失ったものも多々おりました。軍隊というものは一般市民からは隔離された「戦闘集団」なのです。その為に特別な訓練と規律と犠牲を要求されているわけです。日本ではどうなのでしょうか。 

I. 

日本の自衛隊は外国でのみ「軍隊」であり、国際慣習上立派に「軍隊」として処遇されているというだけであって、自衛隊を「軍隊」として扱う国内法上の法的根拠はまったく存在していないのが現実なのです。従って、国際法上でも、厳密に言えばジュネーブ戦時国際法の対象になるかどうかは断言できないのです。防衛法の権威である安田寛氏でも「日本国憲法の下で、我が国に右のような[戦時国際法上の]権利が認められるか否かについては、これまで特に議論されていないようであり、ここでにわかに結論を下しがたい」と吐露することが精一杯なのです(安田寛『防衛法概論』オリエント書房、1979年)。それでも安田氏は「自衛隊は、軍隊と本質を異にする独特(sui generis)の武力組織であるが、国際法上軍隊に適用される法規は、その性質に反しない限り、自衛隊に適用される」と結論付けています。但し、ここで肝心なのは「その性質に反しない限り」という条件なのです。 

もちろん、自衛隊も、一定の組織と指揮系統を有し、一定の制服を着用し、外敵に対して自国を防衛することを任務とする武装集団なのですから、「軍隊」と言えなくもないのです。ただし、決定的に諸外国の軍隊から違っていることは、林修三元内閣法制局長官がいうように、自衛隊は「その任務および行動の限界は、自衛権の行使として認められるものの範囲にかぎられ」ていることです。自衛隊自衛隊法に定めてあること以外は行動を取れないのです。ですから、自衛隊は「その意味では軍隊ではない」のです(林修三「憲法第九条自衛隊」、林修三・中村菊男編著『自衛隊憲法の解釈』有信堂、1968年)。ここで大事なことは、林氏がさりげなく言った「その意味では」と限定したものが「自衛隊法で定めてあること」なのです。自衛隊は「軍隊」でないから「自衛隊」なのです。それは、国内法上、自衛隊は権限が規定されていないものは何もできないということです。つまり主権国家として自ずから保持していると見なされている権能を持っていないわけです。おかしな話です。何故ならば、主権国家を対外的に規律する法規範は国際法なのです。本来どこの国の軍隊でも国際法が禁じていない行為・行動以外は自由に自らの裁量によって執ることが出来るはずなのですが、それができないのが自衛隊なのです。交戦権がないのですから。色摩力夫氏によると、「日本国憲法になんと規定しようとも、国際社会は交戦権の否認を字義通りに受け取っておりません。日本が自己規制をするのは勝手ですが、世界は、自衛隊に対して、『交戦者平等の原則』の適用は当然であると考えています。それ故に、国連は、カンボジアUNTACの軍事部門に、自衛隊からの派遣を問題なく受け入れたのです。すなわち、自衛隊国際法上の軍隊であることはもはや疑いありません」と断言しています(色摩力夫「軍隊と警察の本質的差異」、小室直樹色摩力夫『国民のための戦争と平和の法』総合法令、1993年)。しかし、この色摩氏の結論も「国際法上軍隊に適用される法規は、その性質に反しない限り、自衛隊に適用される」という限定された枠組みの中での話しに過ぎないのです。国連側の善意に日本が甘えているに過ぎないのです。 

「軍人」ではない自衛官は、日本国内では、まさに一般市民と同じなのです。言ってみればサラリーマンなのです。自分の国が攻撃されない限り、任務中に殺されることはまずないのです。少し大袈裟に言えば、失礼かもしれませんが、士気、規律を考えれば巷の消防隊に少し毛の生えたようなものなのでしょう。防衛大臣を勤めた拓殖大学大学院教授である森本敏氏が言うのに、「隊員が艦艇の中から個人的な携帯電話をかけても周りは注意しません」とのこと(森本敏『日本防衛再考論―自分の国を守るということ』海竜社、2008年)。これでは、路を喫煙しながら歩いているサラリーマンと同じではないか、と思うのも致し方ないのではないでしょうか。もう一度、ヘーゲルの言葉を考えてみましょう。「軍人身分とは、国家の防衛を引き受けるところの普遍性の身分であり、それ自体における観念性を顕現させる義務、すなわち身を犠牲にする義務をもつところの普遍性の身分である」と定義付けています(ヘーゲル『法の哲学II 』中公クラシックス2001年)。逆に言えば、自衛隊は軍隊ではないので、自衛官は軍人たる覚悟を待たずにいれるという事なのでしょうか。 

日本政府が「人の命は地球より重い」という迷文を発して「日本赤軍」テロリストの要求に屈し、身代金16億円の手土産を持たせ、要求された囚人を釈放して、わざわざ日本航空特別機で輸送する、という異常な国では自衛隊が「戦闘集団」という自覚どころか認識があるのか、疑問に思います。たとえあったとしても、任務遂行中に殺されることもあり得るという心の準備をする必要がないような前提が、自衛隊にはあるような印象を受けます。国連PKO派遣の条件に「非戦闘地域」というものがあるのもその証でしょう。従って、戦闘用の武器の携帯は不必要となるわけです。これも日本の憲法が定めているという「平和主義」の弊害で、村田良平元外務次官によれば、「一つは現実からの逃避」であって、「もう一つは、全く恥しい話なのだが、種々の事態において、日本人、特に自衛隊員の死傷を出さないための手段である」と断言しています(村田良平『村田良平回想録(下)』ミネルヴァ書房2008年)。同氏は、さらに「日本はもっともらしい口実として『平和主義を定めた憲法九条の制約』を持ち出して、危険から逃避を続けたのである。これは極めて不誠実な行為である」と嘆いていました。それでも、制服組幹部は、20019月に当時の安倍晋三官房副長官を自宅に訪ね、「自衛隊員が死んだり怪我をしたからといって、すぐ撤収させるくらいなら派遣しないでほしい。出す以上は政治家は腹をくくってもらいたい」と直に武器使用基準の緩和を訴えたといわれています(久江雅彦『911と日本外交』講談社現代新書2002年)。それでも武器使用基準の緩和はならなかったのです。日本が自ら派遣した兵士の安全を確保するために何をするかと思えば、外国のPKO部隊に自国のPKO部隊の警備を依頼するのです。最近の例では、南スーダンでの自衛隊PKO部隊はウガンダ軍によって警備されているのです。そして、少しでも現場の治安が悪化すると、すぐ派遣PKO部隊に引き上げの話が持ち上がるのです。このような 自国のPKO派遣部隊の生命の安全のみに専念するという国家的利己主義を恥も外聞もなく貫く日本的「平和主義」の欺瞞を見抜き、リチャード・アーミテージ氏は、すでに14年も前に2000年の第一次アーミテージ報告で、「平和維持・人道的救援活動」への「全面的参加」を勧めると共に、「日本は、1992 年に自ら課した制約を取り払い、他の平和維持活動参加諸国に負担をかけないようにする必要がある」と勧告までしているのです。  

II. 

そもそも自衛隊は「戦闘集団」であって、国家の普通の行政組織ではない、と正直に言えずに、だらだらと特殊な集団である組織を、たとえ特例があるとしても通常の国内法で通常の国家組織と同様に処遇すること自体が理不尽なのです。これは真摯に国の安全保障を考えて「自衛隊」に制服組として活躍している自衛官たちに対して失礼きわまりのないことなのです。近年、守屋武昌元防衛事務次官が四年に亘り防衛次官として私利を貪ったといわれる内局の官僚に対して、自衛官がどのような感じを持っているのか、と考えざるを得ません。この防衛省最高幹部による背任行為は前代未聞の最大の不祥事であったのです。守屋は、「昭和63年に防衛局運用課長となって以来、20年近くにわたり、防衛庁(省)内部部局の中枢を進んできた」有力者でした。接待・供応については、守屋自身が国会の証人としてすでに認めたことですが、「平成19 8 月に事務次官を退任するまで約13 年にわたって、月3 4 回の日帰りゴルフ、年1 5 回のゴルフ旅行の接待を受け、金品の供与も様々な機会に受けた」とされる一大背任事件でした(防衛省改革会議報告書―不祥事の分析と改革の方向性、平成20715日) 

文民統制」あるいは「シビリアン・コントロール」といわれるものは憲法66条第2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定から派生するものであって、「民主主義国家における軍事力に対する政治優先又は軍事力に対する民主主義的な政治統制」を指すもので、「我が国においては国会による統制、内閣による統制、防衛長官(防衛大臣)による統制の仕組みが整備」されている、といわれています(田村重信高橋憲一&島田和久『日本の防衛法制』 内外出版、2008年)。それを支える理念は以下のふたつの基本原則なのです。第一に、政治と軍事を分離した上で、軍事に対する政治の完全な統制を確保することが、「武装集団」からの政治への介入を防ぎ、民主主義政治を守るということなのです。何故ならば、武装集団としての軍隊は「半ば自律的な(セミ・オートノマス)プロ集団」なのです。そして、自律的な特殊な専門知識・技術を備えているがゆえに、必ずしも政府という統治機構をつかさどる為政者との一体性や同一性を持たないことがあるわけです。そのような武装集団は、「時の政権から、組織として、ある種の距離を置いて」いるのが常識ではないのでしょうか(色摩力夫「軍隊と警察の本質的差異」、小室直樹色摩力夫『国民のための戦争と平和の法』総合法令、1993年)。ですから、逆に統治権を持っている為政者としては、そのような武装集団の組織である「軍隊には構造的に、クーデターを起こす可能性が秘められている」ことを認識した上で、その軍隊に対してはある種の緊張感を持った関係を造っている訳です(同上)。第二に、民主主義の原則に基づいた政治を守ることは、国民の政治への参加を通じて政治をより有効的に監視・統制することにより、より良い「武装集団」の統制に結びつくということを前提としたものなのです。しかし、残念ながら、憲法上、自衛隊は「軍隊」ではないという建前のために、「自衛官文民なり」という初期の解釈が示すように、文民統制の基になる政治と武装集団との関係が長い間十分に議論されることはなかったのです。従って、本来の「文民統制」の基本的枠組みである国会と内閣の首長としての内閣総理大臣とによる民主的・政治的統制の機能が正しく理解されずに、文民集団である防衛庁/省の内局官僚による武装集団である自衛隊に対する統制が「文民統制」であるが如く、現場では「文民統制」が長い間著しく歪曲された様態で理解され実践されてきたというのが実態です。 

そもそも、防衛省で「内局」という組織構造は、国家行政組織法7条に基づき「内部部局」と総称される省/庁の内部に置かれる官房や局あるいは部のことで、他の省庁と別に違ったことではないのですが、防衛庁が設置された時、文民統制を補強するために「防衛庁独特のものとして参事官制度」を新たに造ったのです(安田、前掲書)。どのような内部構造になっていたか、2009年(平成21年)の防衛参事官制度の廃止、防衛大臣補佐官の新設などが実行される以前の防衛省設置法を見てみましょう。その第3章の「本省に置かれる職および機関等」の第1節に「特別な職」と名づけられているものに「防衛参事官」があります。第7条第1項は、「防衛省に、防衛参事官を置く」と定められ、第2項に、「防衛参事官は、命を受けて、防衛省の所掌事務に関する基本的方針の策定について防衛大臣を補佐する」と規定されていたのです。いわゆる「内局」というものは国家行政組織法で基本的には官房と局とで構成されているのです。そして防衛省設置法の第9条には「官房に、官房長を置く」と定め、「官房長および局長は、防衛参事官をもって当てる」と規定されていたのでした。つまり、防衛省の「内局」というものは全て防衛参事官が仕切っていたのでした。その防衛参事官には、その制度自体が防衛省独特のものであり、「文民統制を確保する役割を果たすべきもの」と理解され、「自衛官が参事官を兼ねることは、この法律の建前に反する」ものと受け入れられてきたのです(同上)。では、防衛省設置法第8条に内部部局が責任を負う事項が列記されていますが、その責任領域は第4章に掲げる防衛省の重要な責務を全て網羅するものでした。(1)防衛および警備に関すること;(2自衛隊の行動に関すること;(3)陸上・海上・航空自衛隊の組織、定員、編成、装備および配置に関すること;(4)前3号の事務に必要な情報の収集整理に関すること;(5)職員の人事に関すること;(6)職員の補充に関すること等々、防衛省管轄化の重要事項は全て防衛参事官の「所掌事務」の中に入っていたのです。そして、最終的な落ちどころが防衛省設置法の「官房長および局長と幕僚長との関係」と名づけられた第12条にあったのです。 

 第12条 官房長および局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。 

  1. 陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合幕僚長陸上幕僚長海上幕僚長又は航空幕僚長(以下『幕僚長』という。)に対する指示

  2. 陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画について防衛大臣の行なう承認

  3. 陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊又は統合幕僚監部に関して防衛大臣の行なう一般監督

以上の第12条から端的に分かることは内局は全ての分野において制服組を従属させていたという冷酷な実態だったのです。ですから、その現場にいたものが、自衛隊を監視・管理するために存在し、自衛隊防衛大臣・総理の間に位置し、内局を通してしか自衛隊が情報を上に上げられないという構造は結果的に内局が大きな権限を持つことになってしまっている」と批判したことは正鵠を射ていたのです(田母神俊雄『真・国防論』宝島社、2009年)。このような理不尽な組織構造を1954年(昭和29年)自衛隊設置以来2009年(平成21年)まで55年間そのままにしてきた無作為の責任は、啓蒙すべきことを怠った知識人・学者・マスコミによる一連の「平和主義」に踊らされる政治家とそれを利用した官僚にあるのです。その実態は、「政治家が防衛問題を忌避し、制服組ではない文官官僚が、いわば政治家から包括的な委任を受けた格好で(本来は政治家が取り組むべき)防衛政策の立案や国会・世論対策を担当し、また彼らが政治家と制服の間に位置することで、政権中枢への軍部・軍人の接近を拒むことで、当該政権が帯びる軍事の色合いを極力希薄化させる役目を担わされた」のです(西川吉光「防衛参事官制度の見直しと文民統制システム」、『国際地域学研究』第8号、20053月)。まして、そんな政治家を国会に送り出すわれわれ選挙権を持つ者の責任なのです。もちろん、この世界に類を見ない組織を作り出した源泉は、全ての職業軍人を「公職追放」に追いやった占領軍の政策です。しかし、警察予備隊の創設に当たり、その軍事的専門知識の不在という隙間に入っていった旧内務省・警察官僚の影響であったのだと考えられています。結果的に、「制服に対する文官優位」、「官僚統制による自衛隊支配」という本来の「文民統制」を歪曲した形で、防衛省自衛隊内での特異な体制を作り上げてきたのです。この体制は、内閣総理大臣から防衛大臣統合幕僚長を経て統合任務部隊指揮官に一元的に至るべき自衛隊の指揮命令(軍令)系統に、防衛大臣統合幕僚長との間に防衛参事官という指揮権がなく国民に責任を負わない文官官僚の介在・介入を許す仕組みが当然のごとく維持されていたのです。

 

                                III.

 内局の力が制服組を凌駕し何から何まで内局の承認を受けなければならないような国家組織上の歪を生んだ素は「軍隊」と「警察」を峻別することを怠ったためなのです。もちろん、峻別できるような政治的状況に置かれていなかった、というきらいもありますが。警察予備隊、保安隊、自衛隊に至るまで、その全てが世界の常識でいう「軍隊」ではないという位置づけがなされてきたからです。警察の本質は軍隊とは異なり、時の政府に一体化しています。警察は行政機関として政府の一部なのです。その第一目的は国内の安寧・秩序の維持と国民の財産・生命の保護と法の執行であり、警察の行動領域は国内に限定されています。そして、その警察力の行使の対象は国民なのです。したがって民主主義国では、公権力が濫用されないように国内法によって警察の権限を規制するのです。つまり警察がして良いこと、するべきことを法律によって列挙するのです。この公権力の行使の第一義的な責任者は一人の警察官であり、警察官一人ひとりが「警察官職務執行法」によって拘束されているわけです。これを通常「ポジティヴ・リスト方式」といい「原則制限」の方式なのです。まず異常な例外を除けば日本も含めて世界中の国々の警察がこの方法を採用しています。

 ただその根本的な問題は、自衛隊という本質的に「武装した戦闘集団」に対してあたかも警察であるが如く、警察予備隊の時代と同じようにいままで継続的に「警察官職務執行法」を準用してきたことにあるのです。警察予備隊の設立当時の政治的、法的拘束と占領下のことで、警察官職務執行法を準用しなければならなかった事は仕方なかったのでしょう。マッカーサー元帥も吉田茂首相も、とにかくお互いの都合で「軍隊」とは呼べなかったのですから。実際は「軍隊」であり「兵隊」なのですが、「警察」と呼んだことが、官僚の癖で本来の目的を無視した言葉使いの一致・一貫性を求める言語論法に憑かれてしまったのです。内閣法制局による憲法第九条の文理解釈の犠牲なのです。為政者が最初の警察予備隊からして、本当は「軍隊である」からこそ、「日蔭者」として扱い、世間の理解を得る努力を怠り、と同時に「軍隊でない」ことを証拠立てるために「軍隊である」ことを彷彿させるものを悉く払拭することに懸命だったからです。軍隊は警察予備隊、保安隊、そして自衛隊となり、戦車は特車、歩兵は普通科、大佐は一佐、少尉は三尉、兵士は隊員、士官は幹部、駆逐艦護衛艦という具合に実像を隠蔽してきたのです。村田良平元外務次官が言うように「九条二項の規定と現実との矛盾に無理に整合性を与えるため、過去六0余年、政府はこと防衛については、国民に嘘をつき続けた」のです(村田、前掲書)。このような自縄自縛の構造は、国の防衛のために一命を懸けて任務に精進する自衛官を厄介者に貶め、凜とした身の振り方の形成を著しく阻害しているのです。国防の任務に励む者が誇りを持って、胸を張って自らの責任を全うできるようにしなければならないのです。しかし、「警察予備隊令」の第1条にある「この政令は、わが国の平和と秩序を維持し公共の福祉を保障するのに必要な限度内で国家地方警察および自治体警察の警察力を補うため」という目的と「自衛隊法」の第3条第1項に規定されている「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主なる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」という目的との間には雲泥の差があります。さらに、同条第2項には、「我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動」と「国際連合を中心とした国際平和のための取り組みへの寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動」を後に付け加えているのです。よって、サンフランシスコ講和条約締結後に独立を果たした以後も主要な職務が異なっている警察と自衛隊を同等なレベルで扱うのは全く不合理なことなのです。

 警察とはその目的が全く違う自衛隊が創設されても、その行動を規制するのに敢えて「警察官職務執行法」を準用しいるのはその根底に憲法第9条第2項が存在するからです。警察官職務執行法憲法9条第2項は切っても切れない関係にあり、それぞれ表裏一体なのです。「軍隊」と言えないから警察としたにすぎないのです。警察予備隊も、保安隊も、警察組織としての能力では対処できない事態を補完する組織として作られてきたという経緯があります。その法体系は警察と同じように組織がとるべき行動、行使すべき権限を法律で明示することを前提とするポジティブ・リスト方式を採用しています。保安隊を引き継いだ自衛隊も、その出自からして、警察組織の法体系と同様にその執るべき行動・権限を一つ一つ法律で規定するという法制上の拘束を引き継いでいることに諸々の不都合な問題・欠陥が発生しているのです。この特異な状態は自衛隊をして責任ある迅速な行動をとることを著しく困難にしており、逆に、現場の指揮官に対し理不尽な責任を負わせる結果になっています。19769月に起きたミグ25亡命機飛来事件に対処した一線の指揮官の苦悩と自責の念を考えればよく分かると思います(瀧野隆浩『自衛隊指揮官』講談社α文庫、2005。  

その結果、現状では、一つの新たな行動に関して新しい法律を作り出さなければならないという理不尽な状態が存在しているのです。法律に明示的に権限が規定されていなければ何もできないという愚鈍な法理により国防自体が危険に晒されているのです。同じような内容の法律をいつまで増殖して行けば満足するのでしょうか。それでも、不測の事態は発生するのです。法律はさらに増大するのみならず、既存の法律との整合性を図るために、さらに複雑化するという悪循環を継続しているだけです。

この異常な状態は2007年(平成19年)の防衛庁防衛省への昇格を果たしにも拘らず、防衛省設置法は、単に防衛庁防衛省に、防衛庁長官防衛大臣と言い換えただけで、任務、所掌事務、組織等は防衛庁と全く変わらず、以前の防衛庁の構造から一歩も抜け出せないようにさせたのが省昇格の実態であったのです。前代未聞の最大不祥事といわれる防衛省幹部の事件や海上自衛隊護衛艦「あたご」の追突事故、業務上の機密・情報データ流失・漏洩などの一連の事件を引き金として、2007年(平成19年)「防衛省改革会議」が設置されて、防衛省改革の方向性が打ち出されてきたのです(防衛省改革会議『報告書―不祥事の分析と改革の方向性』、2008年(平成20年)715日)。その改革会議座長は以下のような認識を示しています。少し長いですが重要な箇所を全文紹介いたします。 

我が国の自衛隊は、戦前の痛烈な経験から、警察予備隊として創設以来58 年間 

「抑止力として存在することに意義がある」、「自衛隊の暴走を抑止する」との認 

識の下での文民統制(シビリアン・コントロール)が貫徹されてきました。これからの自衛隊の役割への期待の大きさを考えますと、文民統制は、更に強化・充実させる必要があります。他方、これまでの文民統制は、防衛省自衛隊の「逸脱」を厳しくチェックする国会やマスコミの存在を背景に、内部部局の文官がその役目を代行してきた感がありました。文官と自衛官、内部部局と各幕僚監部に判然と分れて相互の人事交流も乏しく、ともすれば全体の目標に向かって相互のコミュニケーションに不足や齟齬をきたし、更には自衛官の主体的・自律的な責任意識の希薄化をもたらすなど、不祥事が続発する一因になったのではないかとも考えました。全ての民主主義国に不可欠なシビリアン・コントロールを我が国も大事に守りつつ、 

内部部局と各幕僚監部が共に政治を支えて、我が国の安全保障を全うすることが必要と思いま す。 

   また、半世紀以上が経ち、我が国自衛隊は、海外派遣任務や国際平和協力活動な 

  ど活動範囲が拡がり、安全保障の概念が従来の「国対国」だけでなく「対テロ」も 

加え多面的になってきているなど、今日の自衛隊を取り巻く環境の変化や求められ 

る役割の重要性に鑑みれば、文民統制を確保しつつ、人材を有効に活用して自衛隊 

をより積極的・効率的に機能させることができるように、防衛省自衛隊の組織を 

改革することが必要な時期に来ているとの結論を得ました(南直哉「報告にあたって」、2008 

(平成20年)7月、同上)

 

防衛省は長年「制服組」からの懸案事項であった警察予備隊時代からの「制服に対する文官優位、官僚統制による自衛隊支配」の組織から「政治優先」の組織に改めるという改革案が2009年(平成21年)に実施され、防衛参事官制度(防衛省設置法第七条)の廃止と、新たな「防衛大臣補佐官」の新設などは、上述した基本的な「文民統制」における構造的な問題の解決に向けての第一歩が踏み出されたと評価したいと思います。ただし、「官僚統制」といわれる根本的な問題である官房長・局長が幕僚長を統制する防衛省設置法第12条)が廃止されずに残存していることは、「防衛参事官」は居なくなったにも拘らず、依然として、内局官僚が防衛大臣と幕僚監部の間に入るという基本的な構造は全く変更されていないのです。正常な文民統制の制度を創りあげていくためにも、防衛省設置法第12条の削除こそが今後の防衛省改革の最大の課題であることは疑問の余地が有りません。

国の安全保障にかかわる専門家を官僚のみに頼らず、現場の苦しさと改善の必要性を実感している制服組の叡智を同様に取り得るべきなのです。内閣府の中に新しく設置された国家安全保障会議の事務局に制服組が積極的に採りいれられたことは喜ぶべきことだと考えます。同じように、防衛担当の総理秘書官に制服の自衛官をすぐさま入れるべきであると考えます。すでに2014年(平成26年)2月には事務次官級ポストの「防衛審議官」の新設や内局に自衛官40人の定員を割り当て、防衛省自衛隊の政策立案面での一体感を高める措置をとることが閣議決定されています。更なる改革のために、現在の事務次官のレベルと統合幕僚長のレベルを同一にすることや自衛隊の指揮命令系統を、内閣総理大臣から防衛大臣、次いで統合幕僚長を経て統合任務部隊指揮官に至るように一元化し、内局の運用企画局は廃止することなど、更なる改革すべき事案は残りますが、最も根本的なことは、防衛省という組織の内部構造ということではなく、自衛隊の曖昧な位置づけを解消していくことこそが主権を持つ国民又その代表である国会議員の意思によって自衛隊が整備・運用されることがシビリアン・コントロールの基本精神であり、そのためにも、「警察官職務執行法」から脱却し、自衛隊を正式に「国防軍」として認知して運用することが最重要な喫緊の課題なのです。

自由な民主主義の国とその国民の生命と財産を守る民主的な軍隊は日の当たる開けた所にいなければならないのです。そうでなければ、防衛省自衛隊の責任を追求するために必要な情報も手段も国民は失う結果になります。「日蔭者」として陰湿な暗いところに追いやられた自衛隊は、密室のなかで、再び、「防衛省の“天皇”」を排出した官僚の支配に陥ることになるのが落ちでしょう。文民統制(シビリアン・コントロール)の原則」は官僚の支配を助けるためではないのです。民主主義国において、国民の代表である文民の為政者が軍隊に対して優先権を持つというのが民主主義の基本原則なのです。自衛隊を新しい軍隊として正統性を与え、日の当たる広場に出すことによって、この文民統制の原則を実行に移すことができ、それを遵守することができるわけです。 

 

IV. 

ではどうすれば良いのでしょうか。まず第一に、既に憲法九条の下で自衛のための軍備は認められているのですから、自衛隊を正真正銘の軍隊と国際慣行に沿って呼ぶべきであると考えます。マックス・ヴェーバーの格言のごとく、主権国家が主権国家たる所以は、「国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされている」からです(マックス・ヴェーバー、『職業としての政治』岩波文庫。 主権国家は、主権国家ゆえに、他の主権国家に対して独立しており、対等・平等の関係にあると考えられています。そのような関係の中で、各々の主権国家は、ヘーゲルの言葉を使えば「相互に約定を結びながら同時にこの約定を越える独立者の関係」なのです(ヘーゲル、前傾書)。よって、元来、一国の軍隊はその国防という目的を遂行するための行動において、「原則無制限」であり、その上に特定の禁止項目を付帯した権限を持つのが古今東西国際的に一般なことであるわけで、軍隊の行動規範は国際法によって規制されているのです。従って、その行動領域も当然のこととして国際法によって規制されるわけです。警察が、その目的である治安維持の対象が自国民であるのとは違って、軍隊の目的は国防であり、その行動の対象は外国なのです。従って、軍隊の行動範囲は国内領域内に限定されていないのです。警察の目的と任務を踏襲したところに現在の自衛隊の根本的な問題が内在するわけです。自衛隊は軍隊として、基本的には国際法に服する義務を負うネガティブ・リスト方式の法体系の下で法整備を行うべきであるのです。そのためには、憲法9条第2項の改正または削除が必須なのです。さらに、自衛隊を軍隊とするならば、その新たな地位・身分に対する法整備が必要になります。軍隊は戦闘集団であるという現実を踏まえて、一般市民から隔離された法制度の下に置かれるべきなのです。軍人は軍令・軍法によって軍法会議、つまり軍事裁判所で裁かれるべきであって、一般市民と同じように一般的な国内法の許で地元の警察、地方検察庁の調査、起訴により地方裁判所で裁かれると言う手続きは全く筋違いなのです。一般市民を対象とする裁判は公開裁判であり、軍事機密も何もかも基本的に公開されることであり、そんな理不尽な事が平然と行われている事自体、わが国は全く異常なのです。ここで障害になるのが憲法76条第2項です。そこには、「特別裁判所は、これを設置することができない」と規定されており、この第76条第2項の下では、自衛隊には軍法会議あるいは軍事裁判所が存在しえないのです。これは世界の軍事史上に例をみないことなのです。自衛隊は、建前上「軍隊」ではないので、その自衛官は軍人としての地位を持たないし、その実質的な地位に見合う取り扱いをも受けることがないのです。世界中で自衛官だけがシビリアンとしての法的権利を享受し、義務を負っているわけです。憲法9条第2項が改正または削除されるとなれば、当然なこととして軍人の地位とそれに付随する権利義務は一般の公務員のそれとは違うことにならなければなりません。 

本稿の冒頭で言及した米英関係のように「特別な関係」を構築する上で、日米同盟の拘束になっているものが「集団的自衛権の行使」を禁じている憲法解釈が問題とされますが、その元を正せば、問題の根源は米国の対日占領政策にあり、その政策が国際状況の変化により中途半端に修正された結果生まれた日米安全保障体制(日米安保条約・日米行政協定/日米地位協定)に明記されているのです。何故ならば、昔も今も、日米同盟関係には相互防衛の原則が根本的に欠落している事に特徴があるのです。このために日本はこの同盟上の責任・義務の「片務性」を如何に別の手段で補填できるか頭を悩ましてきました。日本は、米軍のために基地やその他の関連施設を提供するという日本の義務をもって、米軍による日本防衛の義務に対する「双務性」を満たしているという論理は、自分に都合の良い「双務性」論の押し付けなのです。所謂「思いやり予算」の問題も、その自分の立場に後ろめたさがあるからこそ、日米地位協定にある日本の義務を超えて予算をつけるということになっているのです。そこに問題が在るのです。結果的に日米交渉は不透明になり、その過程で「米国の要求を呑む」という「対米追従」の印象を隠すための「密約」という悪循環を繰り返してきたのです。日米間での力関係の差、各々の対外政策の勢力範囲の非対称性を考えれば、日本と米国の国益は、常に同一ではないことは自明なのです。その時に「より対等な関係」を求めると言う事は、具体的にどのような結果が出てくるのかを考えるべきなのです。一言で云えば日米両国とも互恵の原則に基ずき、同盟関係から得る利益とは、その同盟関係を双務的に対等にする責任と義務を遂行する事によってのみ、その利益を享受できるのだと言う事を冷静に認識すべきなのです。今日、政府・与党が日米関係の「対等な関係」を求めるのであれば、主権国家として当然の権利である軍隊の保持と国連憲章で認められている「個別的又は集団的自衛の固有の権利」の行使という核心の問題に取り組みべきなのです。 

「集団的自衛」とは自国の国益と他国の利益とを同じとして発展的に拡大した自己を防衛することであり、対象は必ずしも日米安保条約の許での同盟国アメリカだけに限られたことではないのです。但し、「自衛権」の行使ですから、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」であり、その被攻撃国からの援助の依頼があり、国連の「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限定されています。日本は国連加盟国として「安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意」していますし、また、「安全保障理事会が決定した措置を履行するに当って、共同して相互援助を与えなければならない」という義務も負っているのです。主権平等の下に独立した主権国家が「水平的国際秩序」を構築している時、主権国家の上には公権力は存在しないという冷酷な現実があります。そのような状況の下では、各々の主権国家が自助により国際安全保障を維持する役割を果たす努力ことが必要なのです。違法な侵害に対する「個別的又は集団的自衛の固有な権利」の行使や国連安保理の決議による強制的制裁措置に参加することは、それぞれ、国連安保理が持つ「国際の平和及び安全の維持に関する第一義的な責任」を担っている国連憲章下の集団安全保障に対して、各々の国連加盟国自身が補完的な役割を果たす意味があるのです。 

JICAにしろ、国際協力隊にしろ、さまざまな国際協力プログラムの一環として海外の開発途上国に職業訓練、技術指導、農業指導、保健・医療、教育などの民生支援の拡充に伴い多くの日本人が派遣されています。それ以上に民間の多数の事業会社の社員が「企業戦士」として日本のグローバルな経済活動を支えているわけです。これほど相互依存が高まり、グローバル化が進んだ今日この頃、経済・商業分野に限らず、民間の団体や非政府組織、つまり非国家組織も国家と競合関係に入って国境を越えた活動をしているのが現実です。すでに、そのような非国家組織の手による民間の犠牲者の数は益々増加してきています。JICAや国際協力隊などの公的機関ではなく民間企業からの派遣であれば「自己責任」論が通じるのでしょうか。公的機関から派遣された人は誰がその「責任」を負うのでしょうか。 

タリバンの攻撃が首都カブールに既に始まっている現実を前にして、誰にこの民生支援に従事する職員の警備・保護を頼む気でいるのでしょうか。まして、の職員が殉職する時には陸上自衛隊の兵士が命を落すのとは雲泥の差があるはずだと思います。そういう事態が不幸にも発生したとき、日本の「自衛官」にしても、或いはシビリアンの職員であっても、日本国政府はどのような「かたち」を創って国のために殉職した職員又は兵士に対して敬意を表すのでしょうか。自国の利益および国際社会の共通利益を守る気概と努力なしに、日本国憲法で謳う「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と云う願望は奇麗事では達成できないという事は先の湾岸戦争で十分実証されたのです。   

日本国民を覚醒させるために、自衛隊市ヵ谷駐屯地で自らの命を捨てた日からすでに45年にもなろうとする今、三島由紀夫の叫びが『英霊の声』のように聞こえてきます― 

     「お前たちに将来はない。もはや救われる道はない。憲法はいつまでたっても改正されない。自衛隊には未来はないんだ。お前たちは違憲だ。自衛隊違憲なんだ。お前たち全員が、憲法に違反しているのだ」 

賛成の声はどこからも聞こえなかった。 

「この皮肉がわからんのか。この皮肉が・・・お前たちは違憲の軍隊になった。自衛隊を否定する憲法を、自衛隊が守るのだ。なぜ目覚めない。なぜ日本をこんな状態にしておくのか」 

ヘンリー・S・ストークス『三島由紀夫 生と死』清流出版1998年)

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