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「戦後国際秩序」の崩壊の始まり

「戦後国際秩序」の崩壊の始まり

 

鈴木英輔

イスラム国」と自称する非惨で非情な犯罪組織が第一次大戦の戦後処理としてサイクス・ピコ協定の下で創りだされてきた国境を消し去り、自らのデザインで新たな国造りを狙っていることも、現在進行している領土に関する「戦後国際秩序」が崩れ始めている大きな流れの一環なのだと思う。今、1945年に国連と共に創られた「戦後国際秩序」は徐々に崩壊し始めているのです。

 その発端は1989年に起きたベルリンの壁の倒壊に始まって、1990-1991年に起きた東西ドイツの統合とソヴィエト連邦の瓦解という一連の劇的な出来事です。これこそが「戦後国際秩序」の創造に関する基本的な「理解」を破棄したのです。ただこの劇的な事件がヨーロッパで起きたことにより「冷戦」の終焉という意味に取られがちでしたが、もっと根本的なことは、第二次大戦の戦後処理として出てきた新たな国境画定に関する基本的な理解を崩したという事実なのです。この冷酷な事実は、ヨーロッパという一つの地域のみに限定できるものではなく、同じような戦後処理としての新たな国境画定に関する基本的な理解は地球上の他の地域にも存在しているわけです。日本の取り巻く国際環境を考えればすぐ分かるでしょう。中国、ロシア、韓国、さらに南シナ海に関する所謂「領土問題」はまさに、「戦後処理としての新たな国境画定に関する基本的な理解」に基づき線引きがされてきて現在に至っているのです。習近平が「中華民族の偉大なる復興の実現」が「中国の夢」であると断言するのも、この戦後処理にまつわる基本的な理解が崩れたという事実を認識しているからでしょう。

 最近のロシアのクレミア併合、ウクライナ進攻、中国の南シナ海は中国の領海という一方的な主張やロシアのウラジオストック沿海州はもともと中国の領土とか尖閣諸島は中国の領土だという主張も、同じ理解に基づくものでしょう。そして日本の「北方領土返還」運動がロシアに対してより現実味を持ち出してきているのも、戦後70年経って始めて「戦後国際秩序」の中で作られてきた国境線が変更できる時が到来した、と相互に認識されてきたからです。

 今や、アフリカでもナイジェリアを拠点としてその近隣諸国、カメルーンやチャドに、あたかも国境線が不在の如く自由気儘に行動しているボコ・ハラムというイスラム過激組織は、中東の「イスラム国」と同じように、「戦後国際秩序」の一翼になう国連憲章下で脱植民地化を促進してきた「自決権」の基盤となった「占有物保護の原則」(the principle of uti possidetis)を否定することなのです。つまり、欧米植民地宗主国が統治・維持してきた特定の植民地境界線をそのまま国境とした領土と宗主国の統治組織、制度・装置を引き継いで独立を果たしたという過去の成果を清算する運動です。もちろん、この先駆けとなったのは、スペインからその植民地の行政区域を基に独立を果たした南アメリカの新生共和国だったのですが、もともと、植民地の境界線などは宗主国間の力関係と都合によって恣意的に線引きされてきたものにすぎなかったのです。ですから、その境界線の内側には、異民族が同居していることが多々ありました。あるいは、一つの民族が居住していた土地が植民地となり線引きされ、二つの異なった宗主国植民地として分断されるということも珍しいことではなかったのです。脱植民地化のプロセスのなかで独立を成し遂げた多くの国家は、宗主国の植民地境界線を引き継ぐことにより少数の異民族を国内に抱え込む結果になったのでした。それは一口で言えば、多数民族の支配と少数民族の従属の関係を国内に創り出すことだったのです。

 この国連憲章下での「自決権」の問題は、新たに「主権国家」として承認された独立国の中から、更なる「自決権」を求める少数民族の存在です。さらに旧宗主国の利権や特定地域の資源が絡めば問題は複雑です。1960年代初期に起きたコンゴのカタンガ州の独立戦争や1960年代後期にナイジェリアのイボ族が決起した「ビアフラ共和国」の分離独立戦争です。両者とも失敗に終わりました。「武力行使の禁止」、「領土保全」と「内政不干渉」こそが「戦後国際秩序」の基本原則なのです。既存の国家から新たに分離独立するのは大変なことなのです。第三者の積極的な介入や仲介の手がなければ独立を達成することは今も昔も困難至極のことです。ジョージ・ワシントン率いるアメリカの独立もフランスの援助がなければ危ういものだったのです。

 パキスタンはインドと共に別々に1947年イギリスから独立し、そのインドの介入によって東パキスタンバングラデッシュとして1971年に独立し、シンガポールマレーシア連邦から1965年に分離独立しました。エチオピアでは、1960年代から北部のエリトリアエリトリア人民解放戦線が独立運動を起こして、1991年に独立宣言を出した後、1993年に独立を承認されて国連加盟国になっています。1960年に宗主国イギリスから独立したスーダンは南部のディンカ族を中心とする地域が40年もの内戦を経て国連の監視の下で2011年に「南スーダン」として独立を勝ち取ったのです。これらの新たな独立国家は、「占有物保護の原則」(the principle of uti possidetis)を否定することによって生まれてきたわけです。旧ユ―ゴスラヴィア連邦の解体も旧ソ連邦の解体も南アメリカとアフリカの脱植民地化のプロセスと同じようにこの「占有物保護の原則」が適用され既存の境界線の維持に役立ちました。その原則を否定するのが今回のロシアのクリミア併合とウクライナ進攻なのです。

 旧ユ―ゴスラヴィア連邦の解体とそのプロセスから武力を以って造り出されてきた新たな独立国、その独立国からさらに分離していく新しい国家を造りだす「私」個人の集団である非国家組織の形成過程を考えれば、既存の「公」の国家・政府にとって、全ての反「国家・政府」の集団は公の安寧と秩序を乱す好ましからずものであり、厳しい規制・取締りの対象となるものなのがよくわかります。何故ならば、分離・独立運動が所謂合法的手段だけで平和裡に解決する道が全く無い場合には、「武力」の行使へ訴えることがあるからです。

 国家が国家たる所以は、マックス・ヴェーバーの言葉を借りれば「国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉」であるからです。国家が暴力の権利を独占的に保有し、非国家組織や「私」個人の暴力行使を「非合法・違法なもの」として規制し取り締まることから始まるのです。 まして、その「私」個人からなる非国家組織が既存の政府の転覆や国家の再編成を企てて活動を起こせば、当然なこととして合法・正統であると自任する政府・国家は反政府・国家勢力を「テロリスト」、「非合法・違法な過激組織」とレッテルを貼るのです。

 「権力は銃口から生まれる」と云った毛沢東が率いる中国共産党も「テロリスト」であり「非合法・違法な過激組織」であったわけです。いまや中国共産党が「正統性」を武力で勝ち取った後には、こんどは反対に新疆ウイグル自治区の自決権を要求するウイグル民族の非国家組織に対しては「テロリスト」で「非合法・違法な過激組織」であると非難しているのです。

 1977年にイスラエル首相となったメナヘム・ベギンもユダヤ人テロ組織「イルグデーン」を率いて1946年に「キング・デーヴィド・ホテル」を爆破し、1948年には「デイル・ヤシン事件」という今の「イスラム国」の残忍な行為と変わらないテロ活動をして「イスラエル」の建国に貢献してきたのです。そのかつての「テロリスト」も1978年にはノーベル平和賞を授かっています。 

 同じようにパレスチナ解放機構PLO)のアラファタ議長もテロリストと呼ばれながらも1993年に「パレスチナ暫定自治政府」の建設により1994年にノーベル平和賞を授与されているのです。

 1994年に新生南アフリカ共和国の大統領に就任したネルソン・マンデラこそ、アパルトヘイトの撤廃運動の闘士としてアフリカ民族会議(ANC)を率いて過激な反アパルトヘイト活動をしたかどで、南アフリカ白人政府からテロリストと烙印を押され、1964年には国家反逆罪で終身刑として27年間も収監されたことは周知のことです。マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞していましたが、米国政府のテロリスト監視リストからネルソン・マンデラの名前が削除されるのには2006年6月まで待たなければならなかったのです。

 「植民地の解放戦争」を勝ち抜いて新たな独立国を造りだしてきた国家の指導者たちは、かつては皆、「私」個人の集団である非国家組織の指導者だったのです。所謂「民族解放戦線」といわれるものは非正規軍であり、圧倒的な兵器・装備を持つ「公」の政府軍とは比べ物にならない非対称的な戦術を用いて自らの不利な立場・弱点を補う手段をとらざるを得ない状況に置かれていました。そのような非国家組織として解放戦争を遂行してきたという共通の経験を共にする指導者を持つ新興国家が多く参加して作り出されたのが1977年の「ジュネーヴ諸条約の第I&II追加議定書」なのです。

 本来、「ジュネーヴ諸条約」は対称的な相互に対峙する国家の正規軍の戦争の遂行の仕方を規制するハーグ陸戦条約に代表されるような近代戦時国際法の一翼として戦争犠牲者の保護を目的とする「傷病者保護条約」、「難船者保護条約」、「捕虜条約」、と「文民条約」という四つの条約からなるものであったわけです。しかし、1960年代の植民地解放戦争を通じて発生してきた新たな非対称的武力紛争という状況は、対称的な国家間の正規軍との武力紛争を規制する法規では十分に対応することができないという認識を生み出し、新興独立国を中心として、1949年の武力紛争に於ける人権問題を規定した「ジュネーヴ諸条約」を補完・拡充するものとしてこれらの追加議定書が作成されたのです。そうして、「民族解放戦争」の正当化と非対称的武力紛争を認めたのです。そこには武力紛争の目的こそが違法性阻却事由となり合法性を打ち立てる基盤と成るものであり、いかに武力紛争を遂行するかという様式の問題ではなくなりました。

 したがって、テロであるとかテロリストであるという「公」の権力側からのレッテルに迷わされないで、非国家組織の目的とその目的を達成するために使う強制力を伴う手段の相手との力関係を吟味して、新たな政府・国家を樹立しようとする非国家組織がジュネーヴ諸条約追加議定書の規定を遵守しているかどうかに注目すべきでしょう。「国際的な武力紛争」に関する第I追加議定書は、「人民の自決の権利の行使として人民が植民地支配及び外国による占領並びに人種差別体制に対して戦う武力紛争」を、また「非国際的な武力紛争」に関する第II追加議定書は、第I追加議定書の対象とされていない武力紛争であって、「締約国の領域において、当該締約国の軍隊と反乱軍その他の組織された武装集団(持続的にかつ協同して軍事行動を行うこと及びこの議定書を実施することができるような支配を責任のある指揮の下で当該領域の一部に対して行うもの)との間に生ずるすべてのもの」をも対象にしているのですから、国際慣習法となった国際人権法の遵守こそが、「私」個人の集団である非国家組織を国際法上の責任ある行動主体として承認できるかどうかを見極めるのに重要な基準なのです。

 グローバリゼーションの波は、一つの国家の生存にとって領域を拡大することが安全保障や経済力の維持に必要であるという原理を無効なものにしました。自由貿易の拡大と浸透により、小さな領域と資源も乏しい領土だけでも「都市国家」としてグローバル経済の中で堂々と競争していく力をつけることが可能になりました。それでも、冷戦の終焉とソ連の崩壊後に益々領域を拡大していったEUこそは現代版のアナクロニズムの象徴でしょう。EUが第四の「神聖ローマ帝国」であると見なせば、その領域の拡大を考えれば今の「イスラム国」と自称する「私」個人の犯罪集団としての非国家組織が目指すオスマン・トルコ帝国への回帰という目標と似たようなものでしょう。もっとも、より自由な独立国となった東欧の諸国が次々とEUに加盟して行ったのは統制経済から市場経済へと移行するプロセスの中で発生する危惧と不安を払拭する手段としての“集団”への帰属による“安心感”でしょう。無節制に拡大したEUはその構成国の期待が満たされない場合には、南北ヨーロッパ、東西ヨーロッパの構成国の不協和となって加盟国それぞれの国内問題として表面化してきます。現在起きている移民排斥運動はそのひとつの最も顕著な例なのです。

 EU構成国内の移民排斥運動はもう一つの自己同一認識の確立による自決権の行使という排他的運動にも底辺で一致するのです。スペインのカタルーニア自治州やスペインとフランス両国にまたがる南北バスク自治州も、また最近顕在化したスコットランド独立運動が良い例です。アジアも例外ではありません。中国の新疆ウイグルチベットの問題のみならず、日本が抱えている「琉球問題」です。沖縄はもともと「琉球王国」だったのです。たまたま薩摩藩の武力により「付庸国」として実効支配を受けたのですが、明治維新後、琉球藩沖縄県と名称を変えて行ったのです。さらに、フィリピンのミンダナオ島の独立運動やタイとミヤンマーのカレン族の独立運動は非情に根深いものが存在します。

 「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認」して創り出されて来た「戦後国際秩序」、特に国際の平和と安全の維持と促進のために創られた国連が、その目的として「人民の同権及び自決の原則の尊重」と「人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重」することを掲げています。自決権を訴え政府の変更や新たな国家の設立を求めるプロセスには「戦後国際秩序」の基本原則を崩す役割があり、その自決権の要求の根底には国際人権法であり、そのプロセスを全うするためにはジュネーヴ諸条約に関する追加議定書の遵守という国際人道法に規制されているのです。

 皮肉なことに、自決権の訴えは「戦後国際秩序」を形成する一原則であった「内政不干渉」を担保する「国内管轄権」の基盤を著しく根底から揺さぶり、もはや一つの国家の国内的法制度や政治の実践様式を理由に、国際人権法の適用の対象から外すことが出来ないようになっているのです。まさに「世界人権宣言」が主唱するように「人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない」なのです。「国家」というものは而上学的な抽象概念ではなく、人間一人ひとりの要求、自己同一認識、期待を集約した意思なのです。だからこそ、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」といわれるのです。###