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日本の「兵士」が戦死する時の準備と用意は?

           鈴木英輔

 

はじめに

南スーダン国連平和維持活動(PKO)に実質2016年12月12日から参加する陸上自衛隊の部隊に、「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」の新しい任務が11月18日に付与されました。第11次隊として派遣される部隊は、2012年以降、南スーダンに派遣された部隊と同様に、施設科を主体とする350名です。陸上自衛隊の施設科というのは、その実体は工兵であって、英語ではそう呼ばれています。ただ憲法自衛隊を軍隊と呼べないので、歩兵を普通科駆逐艦護衛艦と呼ぶように、言葉でごまかしているわけです。この言葉遊びで現実の問題をつくろってきた日本的処理方法が、今回の「駆け付け警護」の新任務付与によって新たな国際問題を生じかねないのです。

   自衛隊は、国内法上何と呼ばれようが、主権国家を主要構成員としている国際社会では立派な軍隊として処遇されています。国内法上、陸上自衛隊の一尉とか一佐などと呼ばれている将校は、一度外国に出れば、あるいは英語で表記される時には、それぞれCaptain(大尉)であり Colonel(大佐)なのです。当然、陸上自衛隊普通科隊員たるものはInfantry(歩兵)部隊であり、国連PKO活動部隊の主流を構成するものです。従って、国連南スーダン・ミッション(UNMISS)が使用する国連PKO局が編纂した「歩兵大隊マニュアル」(United Nations Infantry Battalion Manual, Vols. I & II)によれば、工兵が従事しているインフラ作業員とその建設しているインフラ設備・施設本体の護衛任務は歩兵が担っているのです。 第10次までの自衛隊の派遣部隊は他国の歩兵部隊に護られてきたのです。 

   本来ならば軍隊ですから、軍事的必要に従って武器を使用するわけです。自衛のため、または国連の平和維持活動に従事している他の国際機関、NGO,政府機関などの職員を保護・救出するために国連の方針に基づき「歩兵大隊マニュアル」に従って行動を執るわけです。その軍隊であると国際社会で理解されてきた自衛隊の派遣部隊が工兵隊だけではなく、今回は歩兵130名程を新たに割り当て、「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」という任務を新たに自衛隊の活動計画に追加し、その旨国連に通告したのです。但し、基本的には軍隊として当然な任務であるものを新たな活動として付け加えたために、国際社会からは日本がPKOに本気になったと期待される一方、日本では逆に新たに付加された任務に呼応する用語が英語に存在しないことに気が付いたのです。「駆け付け警護」にしろ「宿営地の共同防衛」にしろ、原則として歩兵の役割であり、その任務遂行のための武器やその他の装備は工兵が必要とするものとは違っているはずです。その実質的な違いを無視して、武器使用に関する日本独自の規定や携帯または装備すべき武器の種類などの国際スタンダードに一致しない理不尽な規制に対して何らの修正をすることなく新たな任務を付与したことは、日本の言葉遊びが破綻したことを露呈しています。つまり、軍事問題の鋭利な分析に定評のある野口裕之氏が指摘するように、「国内法の規制を撤廃し、国連標準の武器使用ができるように日本が目覚めぬのなら、事実上丸腰に近い自衛官を死地に追いやるに等しい」のです。基本的な法的整備を蔑ろにしておき、言葉遊びに徹してた結果として採る解決策は金銭的な処理なのです。元陸上自衛隊幕僚長・冨澤暉氏が述懐したように、「どうも戦後の日本人は、なんでも金で解決するのが好きなようです。」新たな「駆け付け警護」手当と、万一自衛官の任務中の死亡・負傷などに支払われる弔慰・見舞金に当たる「賞恤(しょうじゅつ)金」に関する訓令を改正し、現行6千万円の上限を駆け付け警護の場合は9千万円に引き上げたのです。もちろん、戦場での負傷者や戦死者、その遺族に対する十分な金銭的補償は必要であることは言うまでもないことです。 

   本来、「駆け付け警護」などの問題は集団的自衛権の行使の問題の一環として議論されてきました。個別的自衛権にしても集団的自衛権にしても、国連を中心とした集団安全保障体制を補完するものであるので、今回いち早く集団的自衛権の行使が試される場が国連平和維持活動になったわけです。ただ、行動が先に走り、その結果に対する準備と用意が十分になされていない恐れがあるように思えます。 

   基本的に、集団的自衛権は、同盟関係の枠組みから生じるものです。かつての日英同盟の日本の同盟国英国が、どのようにその同盟国としての対応の仕方をするのか次に考えてみましょう。 

 

I.

アメリカ合衆国と「特別な関係」を持っていると自負する歴史的な同盟国である英国は、2001年から始まったアフガニスタン戦争に参加している北大西洋条約機構NATO)の加盟国のうち、米国を除けば、派遣兵士の数では最大の7000名も2009年時点で送り出していました。2009年の夏からの死傷者の数はタリバンの攻撃が激しくなればなるほど増えて、毎週頻繁に戦死者の発表があったほどでした。その年の英国兵の死者は108名を記録し、英国参戦の年からの戦死者の総数は2009年には245名になっていました。それから4年後の2013年12月23日時点では、戦死者の数はさらに229名を加えて447名に跳ね上がっていました。

   同盟国英国を含めて、2001年から始まったNATO加盟国のアフガニスタン戦争への参加はNATOワシントン条約第5条に基づく 集団的自衛権の発動により行なわれてきたのです。 2001年に始まった同盟国英国のアフガニスタン戦争への参戦は2014年に正式に撤退するまで13年間にも及びました。その間453名の戦死者と総額40兆ポンドの犠牲と代価を払っているのです。にも拘らず、タリバン勢力は根強く、英国軍が撤退した2014年にはアフガニスタン全土でアフガニスタン国軍の4000人以上の兵士が戦死したのが現状です。英国軍の撤退といえども、戦闘員以外の450名の兵士がアフガニスタン国軍に対する後方援助要員として訓練、助言と援助のために残留したのです。そして、2015年にも英国軍は再び50名の兵士を新たに追加投入しました。これが「特別な関係」を維持するために同盟国英国が負う同盟の姿です。

   日米関係、特に安全保障の分野に関して著しい影響力を持っていると言われるリチャード・L・アーミテージ国務省副長官は、その2000年の「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」という特別報告書(第一次アーミテージ報告)で「日米関係のモデル」としているものは米国と英国が持つ「特別な関係」であると言明しています。さらに、その「特別な関係」を構築していく上で、日本が集団的自衛権の行使を禁じていることが日米の「同盟国間の協力にとって制約」となっていると指摘していたのです。 

   2015年の「安全保障法制」の成立にともない、「限定的」と云われながらも、原則的に集団的自衛権の行使を認めたことは、国家と国家との間の戦争に同盟国として国連憲章第51条に基づき参戦することではなく、その憲章第七章の下での「強制措置(enforcement action)に関する安保理の権限に抵触しない限りで執られる総会の決議による国連の平和維持活動(PKO)に参加することから発生する「駆け付け警護」などにも直接的に影響をもちます。積極的平和主義を掲げ、国際平和の維持に貢献する政策をとった政府には、兵士をPKOに派遣する結果に対応できる準備と用意ができているのでしょうか。 

   既に自衛官の殉職者は、任務遂行中に一命を落としたという意味での殉職者は、警察予備隊発足以降すでに1909名を数えます。事故死とか過失によるものから災害時の出動中での不可抗力によるものなどさまざまですが、自衛隊の訓練は、武力行使を想定した過酷な厳しい命がけの訓練なのです。但し、根本的に共通することは、実際に敵対行動をして武器の使用や武力行使がともなわない行動と作業です。これは国を守るための訓練のことですから、元陸上幕僚長であった冨澤暉氏は、この厳しい訓練中に殉職する自衛官を「訓練殉職者」と呼んでいます。憲法学者井上達夫氏に言わせると「彼らの『訓練死』は、ある意味で日本を防衛するための『戦死』」だといいます。 

   本稿で問題にする殉職者は、もっと狭義な、「交戦中」での死亡者であり、戦死者です。上記の「殉職」の場合は、「日本を防衛するための『戦死』です」と言われても、訓練中の事故死であり、交戦と言う実際の武力行使の現場が不在です。

   当然のこととして、「訓練死」に至るプロセスと実際の「戦死」にいたるプロセスとの間には、類似点は多々ありますが本質的に異なった準備と用意が必要です。残念ながら、公務上の「死」は日本では一律に扱われているのが実態です。そもそも自衛官の死は任務遂行中といえども、その任務には危険を伴うものであって通勤途中に交通事故で一命を落とした一般公務員とは本質的に違いがあります。「一国平和主義」から決別し、積極的平和主義による国際貢献の一環としてのPKOに参加することは、今まで以上の危険に晒されることになります。そこには「武力行使」の可能性が絶えず存在するからです。先に言及した冨澤元陸上幕僚長の言葉を引用すれば、「武力行使では『準備』が大切な意味を持っています」。本稿で言う準備は、軍隊を効率的に運用・展開するのに必要な装備、武器、施設、兵站などの準備に限らず、戦場に兵士を送り出すだけではなく、危険でも国の政策の遂行に国家の命令で送り出された兵士の処遇を特別手当・報酬の支払いと名誉の授与という面に限らず、不幸にも万が一の事態に遭遇して戦死した兵士に対する金銭による補償と戦死者の処遇の方法をも考慮すべきです。しかしながら日本での安保法制の成立過程ではこれらの戦場に送り出される兵士の処遇の考察はまったく存在していなかったのです。では、米国の同盟国英国は戦死した兵士にどのような対応をするのか見てみましょう。 

   アフガニスタンからの英国兵士の戦死者は、英国空軍の輸送機でロンドンから西に車で二時間ほどにあるラインハム空軍基地に、無言のままに戦地から帰還してきます。その度に、この基地では既に慣例になってしまった戦死した兵士を迎える儀式が厳かに催されるのです。空軍基地内での身内だけの式を済ませると、英国国旗に包まれた「殉職した兵士」が納められている棺は霊柩車にのせられて、供回りに護られながら最寄りのウートン・バセットの町の大通りを教会の鐘の響きの中を静かに、ゆっくりと通って行くのです。その間、聞えるのは路の両側に参列した在郷軍人、商店街の主人と店員やその町で生活している一般の人たちからのすすり泣きだけなのです。一般の市民が路の両側を埋め尽くして国のために犠牲となった同胞に対して敬意を表するのは極自然なことです。この様子は毎回、全英にテレビで実況放送されるのが慣例なのです。

   この葬儀が行われる日には、新聞、ラジオ、テレビに戦死した兵士の名前と略歴が発表されます。戦死者の内には若い兵士の割合が圧倒的に多いのです。29歳以下が78パーセントを占めていました。但し、英国国民は大多数がアフガニスタン戦争を支持しておりましたので、遺族の批判は、戦いに必要な予算と装備・機材を十分兵士に与えていない、という点に向けられていました。イギリスの兵隊は徴兵されたのではないのです。すべて兵であろうとも士官であろうとも皆、志願兵なのです。戦場に行った兵士は最悪の場合には自らの生命を落とすと云うことを覚悟していたのでしょう。亡くなった兵士のなかには同僚を助けようとして命を失ったものも多々おりました。軍隊というものは一般市民からは隔離された「戦闘集団」なのです。その為に特別な訓練と規律と犠牲を要求されているわけです。日本ではどうなのでしょうか。

   現在の政府の自衛官の殉職に対する処遇は、毎年一度、東京市ヶ谷にある防衛省で開かれる「自衛隊殉職隊員追悼式」だけです。これは全自衛隊を対象にするもので、もちろん、別個に陸・海・空それぞれの部隊では個別の追悼の行事が組まれています。但し、この追悼式は実質的に他の公務員の殉職の場合と何ら相違はないのです。今回、新たな「駆け付け警護」という任務を与えられた自衛隊は、敵対行動と武力行使の可能性を絶えず伴う職務を果たしているのです。この状況は他の公務員の職務とは全く異質なものです。従って、1990年代から始まった自衛隊の海外派遣(インド洋給油活動、イラク復興支援活動など)に合わせるように、自衛隊は「隊員が戦死した場合の準備を進めてきた」という。「派遣先にはひつぎを運び込み、医官に遺体修復技法(エンバーミング)を研修させ、東京・九段の日本武道館で『国葬』級の葬儀のため日程を把握する。それは組織としての『死の受容』だった」と防衛大学卒で海上自衛隊を経て毎日新聞記者である滝野隆弘氏が記しています。にも拘らず、政府は兵士の戦死を実際にどのように処遇するのか、追悼式以外に何の具体的な措置を執ってきていないのです。 

   しかし、殉職者の追悼式は追悼の場であり、殉職者がその場に埋葬されるわけではありません。国家の命により、国家の政策遂行の職務に従事し、不幸にも武力行使の現場に遭遇して一命を落としていった兵士に対して日本政府はどこにも死者を埋葬すべき場を用意していないのです。かつての帝国軍人・軍属には靖国神社に祀られるという場がありました。現在でも、自衛官の中には、靖国神社に納めてほしいと願う者もいるはずです。それ自体もすでに靖国神社側から断られてしまっています。靖国神社はたとえ戦死した自衛官でも合祀はしないという見解を明らかにしています。1976年に示された合祀基準は、第二次大戦で死亡した軍人・軍属を対象としたものであり、「現在も基準に変わりはない」とし、「自衛官合祀はない」という立場をとっているのです。ただ地方にある護国神社の場合は、合祀決定の手続きに差があり、一様ではありません。いずれにしても、現状は、国家の命により戦死した兵士の埋葬の場にはその国家の存在はまったく不在なのが実情です。

   戦死者が出れば、当然のこととして遺族に対する金銭的な補償が必要です。しかし、この補償の面をとっても、国家の命により派遣される兵士が武力行使の現場で任務を遂行するという特殊性が認識されていないのが実態です。他の公務員の殉職の場合と同じように、自衛官の殉職者は国家公務員災害補償法での補償金ととは別に、自衛隊員、警察官、消防士、海上保安官などが公務中に殉職や負傷した場合に支給される「賞じゅつ金」という見舞金、功労金があります。その防衛省の「賞じゅつ金に関する訓令」によると、賞じゅつ金は以下の任務に従事している際に「一身の危険を顧みることなく職務を遂行し、そのため死亡し、又は障害の状態となったときは、功労の程度に応じ、賞じゅつ金を授与することができる」と規定されています。

(1) 防衛出動の職務に従事する場合

(2) 国民保護等派遣により派遣される場合

(3)治安出動の職務に従事する場合

(4) 治安出動下令前に内閣総理大臣の承認を得て行う情報収集の職務に従事する場合

(5) 海上における警備行動に従事する場合

(6) 海賊対処行動に従事する場合

(7) 災害派遣により派遣される場合

(8) 地震防災派遣により派遣される場合

(9) 原子力災害派遣により派遣される場合

(10)在外邦人等の保護措置又は輸送の職務に従事する場合

(11)後方支援活動、協力支援活動、捜索救助活動又は船舶検査活動の職務に従事する場

  合

(12)国際緊急援助活動又は当該活動に係る輸送の職務に従事する場合

(13)部隊等により実施される国際平和協力業務又は国際平和協力本部長から委託を受け

て実施される輸送の職務に従事する場合

(14)自衛隊の所有し、又は使用する武器、弾薬、航空機、艦船その他防衛の用に供する

物を警護するための職務に従事する場合

(15)アメリカ合衆国の軍隊その他の外国の軍隊その他これに類する組織の部隊であつて

自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(自衛隊法(昭和29年法律第165号)第95条の2第1項に規定する活動をいう。)に現に従事しているものの武器、弾薬、火薬、船舶、航空機、車両、有線電気通信設備、無線設備又は液体燃料を警護するための職務に従事する場合

(16)自衛隊の所有し、若しくは使用する施設又は合衆国軍隊の施設及び区域を警護するための職務に従事する場合

(17)司法警察職員として職務に従事する場合 

上に列記されている職務状況のうち(2)、(7)、(8)と(9)に関しては、他の状況とは明らかに違った状況であり、敵対する相手が存在しておらず、武器使用の可能性がないものです。そのような根本的に異質な職務を十把一絡げにしてよいのかという問題があります。

   さらに、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」の下で国連平和維持活動に派遣された部隊の下で国連の業務に従事する場合と「国際機関等に派遣される防衛省の職員の処遇等に関する法律」の下で 派遣された隊員が、同法第2条第2項第1号から第5号までに掲げる業務に従事する場合、と異質な任務内容の業務を混入しています。

 この賞じゅつ金が持つもう一つの問題は警察官や消防士は地方公務員で、各々の地方自治体から、国から出る賞じゅつ金とは別に、賞じゅつ金が支給されるからです。既に25年以上も前に当時の防衛庁の諮問機関である「防衛庁職員給与制度研究会」は、その問題を以下のように端的に指摘していたのです。

    「警察・消防職員の場合は、大部分が地方公務員  であるため、当該地方公共団体および国からそれぞれ賞じゅつ金が授与され、結果として、警察・消防職員と自衛隊員その他の国家公務員との間に賞じゅつ金に関して大きな格差が生じている。」 

 もっとも、この警告でも自衛官と他の国家公務員が同等に扱われているのが問題なのです。 

 さらにもう一つ必要なことは、危険な地域に国のために命を懸けて与えられた職務を全うした兵士の功績に対して、その名誉を勲章という形で国が付与すべきなのです。かつては、金鵄勲章というものが在りました。特に現在の自衛官が持つ55歳前後の定年制を考えれば、個々の自衛官が「何をしたか」という功績を基準とした新たな叙勲制度を創設すべきです。

 若年定年制を抱える自衛隊にとって、通算在職年数が叙勲の対象となるという現行の叙勲制度の下では他の公務員と比べれて、自衛官は一般的に極めて不利な状態に組織的に押し込まれているのです。これから自衛隊の危険区域での活動が増大していくにつれて、任務を全うした自衛官に国家が名誉を付与するために新たな自衛隊の叙勲制度を緊急に必要としています。###