誰が瀬島龍三を護ってきたのか。

 

誰が瀬島龍三を護ってきたのか。

 

鈴木英輔

『正論』の創刊40周年を記念する2013年11月号に驚嘆させる論文が載せられている。佐々淳行氏の「瀬島龍三はソ連の『協力者』だった」というものだ。ご存知のように佐々氏は第三次中曽根内閣が創設した内閣安全保障室の初代室長を務めた人である。警視庁時代には外事・警備課長を歴任し、人も知る連合赤軍浅間山荘事件」で陣頭指揮を取った人である。その人が内閣安全保障室長の職にあったときに、日米同盟関係を震撼させる事件が発生したのだ。1986年に発覚した東芝機械のココム規制違反の対ソ大型工作機械の不正輸出事件である。

 この不正輸出により五軸大型スクリュー機械を取得したソ連海軍はその手持ちの艦艇、特に戦略原潜のスクリュー音をなくすことに成功したのだ。その結果、米国海軍はソ連戦略原潜の動きを探知できずに米国の安全保障をソ連原潜の攻撃の危険にさらされたという。このため、1987628日には当時のワインバーガー米国防長官が直接中曽根首相に日本側のこの事件の対応の仕方に抗議に来日したのだ。その後の警視庁捜査の結果、ある人が浮上してきたという。その人物は、大東亜戦争のほぼ全期間大本営陸軍参謀として戦争の立案・遂行の中枢にいた帝国陸軍のエリート中のエリートであった。敗戦を満州で迎え、ソ連軍の捕虜としてシベリアに11年間抑留された後、1956年釈放され帰国し、1958年以降伊藤忠商事に勤務し始めた。そのキャリアは羨望の的であり、最終的には伊藤忠の会長として頂点を極めた人物である。その間、政界・財界に広く深く人脈を培い、天木直人に言わせれば、「日本のブレーンとしての瀬島龍三である」(www.amakiblog.com/archives/2007/09/post_309.html)。

 海部俊樹内閣の時に起きた湾岸戦争への日本の対応策を創りあげていく過程で、「ホワイトハウスと日本の中枢部を結ぶ線上に位置している」瀬島が果たした役割は、元NHK ワシントン特派員であった手嶋龍一『外交敗―130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫、2006年)に詳しく記録さtれている。1990年11月に「日米エネルギー委員会」の会合に出席する日本側ミッションの団長として瀬島は訪米していた。その気を利用して、ホワイトハウスで国家安全保障担当大統領補佐官ブレント・スコウクロフトと通訳意外二人だけで長時間に亘り会談している。

 その瀬島龍三を佐々淳行が自らの証言をも踏まえて「黒幕は伊藤忠の瀬島龍三氏であり、何らかの政治的社会的制裁を加えるべし」と直属の上司である後藤田正晴内閣官房長官に意見具申したと言う。佐々氏の証言は重い。「私はKGB 捜査の現場の係長もやった元外事課長ですよ。瀬島がシベリア抑留中最後までKGB屈しなかった大本営参謀だったというのは事実でありません。彼は、『帰国したら反ソ反共を装い、ソ連の批判を慎み、日本共産党とも接触せず、保守派として成長し、大きな影響力を持つようになれ、そのときKGBが肩を叩くからソ連のために働け』、つまりスリーパーとしてソ連に協力することを約束した、いわゆる『誓約引揚者』です」と言明したのだ。さらに、佐々氏は、警視庁外事課ソ連欧米担当の第一係長(警視)という現場の任についていたときの話として、「ラストボロフ事件の残党狩り、落穂拾いをやって、ソ連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣・公園などで不審接触をした日本人又は外国人を突き止める仕事を毎日毎晩やっていました。そのような作業の過程で、不審接触をした日本人を尾行して突き止めたのが、当事伊藤忠のヒラのサラリーマン、瀬島龍三氏だったのです。外事の連中は当時からみな知ってます」と証言していたのだ。佐々氏のこのような詳細な事実を踏まえた説明を後藤田長官にして「長官の注意を強く喚起したのだが」何の指示もなかったという。佐々氏は「瀬島が事件に関わっていたことは限りなく濃厚なのに、なぜ本人のウソが最後まで世の指弾を受けることなく、今日まできてしまったのか、まったくの謎である」と吐露した.

 瀬島隆三に関しては不可解なことが多すぎる。大東亜戦争開戦時には、陸軍のほぼすべての軍事作戦を指導し、「昭和の最後の参謀」といわれた瀬島龍三だ。開戦直後に当時の実質上の最高意思決定機関であった大本営政府連絡会議において、「今次の対米英戦争および今後情勢の推移に伴い生起すべき戦争は、支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」と決定されたにも拘らず、瀬島は敗戦後「大東亜戦争」の意味は、「大東亜秩序を建設するための戦争であるから『大東亜戦争』と呼ぶというわけのものではない」と開き直り、「単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません。大東亜の地域とは、おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びにおおむね東経180度以西すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指すのであります。インド、豪州は含まれておりません」と敷衍していた(『大東亜戦争の実相』、PHP文庫(2000年)、23頁)。なんという無責任さ。まして、大本営陸軍参謀として意思決定の現場にいた本人が、大本営がこの対米英戦争を「大東亜戦争」或は「太平洋戦争」と呼ぶべきかどうか議論した、と云う事実を伏せたことは単なる失念ではないであろう。その議論の末、「大東亜戦争」を採ったということは、松本健一が言うように、「『アジア解放』の理念に重点が置かれ」たことであろう。だからこそ、アジアの欧米植民地の現地人指導者が「大東亜会議」にも出席したのだ。ドナルド・キーンが欧米の植民地支配からの解放をもとめ、自国の独立を戦い抜こうと決心していた植民地の現地人指導者たちの姿をリアリスティックに描いている。

   

   「日本人が東南アジアに作った政府は、よく『傀儡(かいらい)政権』と呼ばれ た。これは各政府が無能な人物によって率いられ、その主な仕事は日本からの命令を実行に移すことにあるという意味だった。しかし、当の『傀儡』たちの名前を一瞥すれば、この命名がいかに見当違いなものであるかがわかる。日本が支援したビルマ、フィリピン、インドネシア各政府の首脳(それぞれバー・モウ、ホセ・ラウレル、スカルノ)は、いずれも傑出した人物で、日本の敗戦後も各国で高い地位を維持し続けた。スバス・チャンドラ・ボース(1897-1945)は自由インド仮政府首班を自任し、インド独立のために献身的に働き、しかも断じて日本の卑屈な追従者ではなかった。これらの指導者たちは、いかなる困難があろうとも、日本との協力によって自分たちの国の植民地支配を終わらせることができると考えていた」(ドナルド・キーン、『日本人の戦争』、文芸春秋、2009年、50頁)。

 

 1941年12月12日、政府の情報局の発表には、「大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず」と説明されていた。そういう状況を熟知していた瀬島が、「大東亜戦争」は「単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味合いに過ぎません」というのは詭弁どころか甚だしい侮辱である。キーンが「植民地支配からの解放は、独立を望む国々の首班たちにとっては大東亜の構想以上に魅力的だった」と評価し、「彼らが日本を支持したのは、大東亜共栄圏に属する国々に独立を与えるという約束を日本が本気で果たすと信じたからだった」と断定したのだ(キーン、同上)。まして、当局は、大東亜戦争開始から第七日目、すなわち昭和16年12月14日より12日間、12月25日まで、思想家大川周明をしてNHKラジオで大東亜戦争の意義を「米英東亜侵略史」と題して連続講演させていた。大川は5・15事件に連座して有罪宣告を受けた刑余の身であった。その彼を引っ張り出すのだから尋常ではないはずである。その後の意味ずけ、特に1943年11月6日に開催された「大東亜会議」とそこで採択された「大東亜共同宣言」を考えるまでもなく、「あの戦争の渦中で幕僚のひとりとして指揮を執った瀬島」(新井喜美夫『転進 瀬島龍三の「遺言」』、講談社(2008年)、3頁)の解説としては無責任であり「大東亜戦争の実相」から著しく乖離しいる。何を以って瀬島は意思決定の中枢にいた本人が「大東亜戦争」の意義を自ら否定したのか。これも、全くの謎である。

 新井氏は、その印象を「瀬島は生前ほとんど真実を語らずに逝ったといわれている。数冊ある瀬島の著書も淡々と事実を記しているだけで、肝心なことについては触れていないように感じる」と淡々と記している(新井、同上、1頁)。

 この佐々氏の論文が、過去に長らく瀬島龍三をかばってきた産経新聞社の月刊雑誌『正論』が掲載したことが面白いと思う。これも去年8月の産経新聞の画期的な、ソ連が対日参戦するというヤルタ密約の情報を大本営に打電した「小野寺電」を握りつぶしたのが瀬島龍三だという記事の延長線にあるのだろうか。しかし、前述の記事の筆者である岡部伸記者の著書『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺伸の孤独な戦い』(新潮社)を著者本人の勤務先の産経新聞出版社から刊行しようと申し出たが願いはかなわずであったという経緯があるのだ。瀬島龍三の回想録、『幾山河』を出版し、異様なほどに瀬島龍三をかばってきた産経新聞は保坂正康が『瀬島龍三参謀の昭和史』(文芸春秋)で提起した日本人捕虜のシベリア抑留に関する瀬島龍三の関与の実態を究明する責任があろう。

瀬島龍三と伊藤忠との関係は、どうも「日本は中国の属国として生きていけばいいのです。・・・それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と公言してはばからない丹羽宇一朗前駐中国大使と伊藤忠との関係と似ているような感じがするのは私だけだろうか。###