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COP21 と「先にやった者の勝ち」というルール

 

鈴木英輔

 2015年11月30日から12月11日まで、フランス・パリで、気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が開催されています。交渉の焦点のなっているのは先進国対途上国の利害の対立なのです。途上国としては、地球温暖化の問題は理解できるけれども、自ら貧困削減と生活水準の向上という正当な経済開発政策遂行を阻害するようなことはできない、という理由があります。そもそも、産業革命から始まり石炭の需要が大きくなり、石油が新たなエネルギー源に加わり、先進国こそ、先に産業化、工業化を成し遂げて富を創り築き上げてきた国々が、その過程において、「先にやった者」としての地球温暖化プロセスを推し進めてきた、という歴史的責任を否定できないはずである、という訳です。

   日本もかつて「遅れて来た者」としての悲哀を、「領土の獲得」、「保護貿易」などの分野で味わされてきました。現代の地球温暖化対策に対応するための措置に関して途上国が押し付けられている「遅れて来た者」としての不平等性は、「先にやった者」が今まで自由勝手にやってきた行為を同じように遅まきながらやり始めたときに、「先駆者」の自由裁量で新たに作られる規則で禁止される、という状況に置かれていることです。「遅れて来た者」は追い着くことに忙しくて、その対象である当該行為にまつわる時間の経過と新たなゲームのルールの発展に往々にして無頓着であったのです。 第一次大戦の戦後処理としてのヴェルサイユ講和会議での欧米先進国が持ち出した「平和主義」、「国際協調」、「主権尊重」、「領土保全」などの新しい理念・原則を理解できずに会議の進行中の議論に参加できず「サイレント・パートナー」と揶揄された大日本帝国代表団が狼狽し混迷した姿をさらけ出していたことに表れていました。 同じようなことは、現在の中国がさらけ出している汚染の実態を見れば良く分かることです。

   新しい技術やノウ・ハウの利用にまつわる許容性の究極的な尺度は、その国が先駆的な能力を排他的に持っているかどうか、でしかないのです。つまり、「先駆者」としてある行為を行う能力を持った者はその行為の果実を享受でき、「先駆者」と同じ能力を後から取得しても、「遅れて来た者」は、その能力を身に着けたとしても、その能力を行使できない、という新たな現実に直面することになるのです。

   この「先にやった者の勝ち」という「先駆者のルール」の最も典型的な例は領土の獲得でした。15,16世紀の火薬、鉄砲、大砲と大型帆船の力によって始まった大航海時代は、未開の土地、つまり文明化されていない土地として、原住民が居住していても「無人地」(terra nullius)とされ、新たな「発見された土地」として略奪の対象になったのです。 19世紀の蒸気エンジンで海を回る軍艦と大砲で闊歩した帝国主義で欧米の列強は世界の弱き国々を植民地化してきたのです。これらの宗主国は1960年代になって脱植民地化が始まるまで、征服の果実を享受してきたのです。香港が、アヘン戦争以降1842年から1997年まで150年ものあいだ英国領であった、という事実が「先駆者のルール」を如実に証明しているのです。日本がこの「先駆者のルール」の犠牲になったのは、三国干渉に屈して遼東半島を割譲できなかったときに始まり、第一次大戦後のワシントン体制の一翼を担う九カ国条約と四カ国条約で日本のごとく「遅れて来た者」への新たな植民地獲得が禁止されたとき、それと、大東亜戦争に敗れたことにより明治維新以降、国際法上合法的に合意に基ずいて取得した領土さえ獲られたときです。

   経済分野における「保護主義」にしても、「遅れて来た者」の自己防衛の手段であったのです。「公海の自由」や「航海の自由」が慣習法として成立していく過程には、当時のオランダというかつての海洋大国ポルトガルとスペインを凌駕して、世界一の海洋大国の栄冠を手にした強力な海洋国の存在でした。オランダにとって、公海が広ければ広いほど航海・航行の自由が拡大するわけです。その理論付けをしたのが国際法の父といわれるヒューゴー・グロチュウスで、オランダ東インド会社の法律顧問だった人が『海洋の自由』という本を1609年に上梓し、海洋は誰のものではなく、誰もが自由に航海できるものであるべきだ、という主張をしました。 これに対して、オランダよりも海洋国としては少し遅れているイギリスでは海洋の領有権を主張したジョーン・セルドンが『閉ざされた海』を1635年に著しました。つまり弱い国にとって自国が管理できる「領海」が広ければ広いほどその領域内の資源を占有できるからです。現在の国連海洋法条約で規定されている「排他的経済水域」(EEZ)こそが自然資源は眼の前にあるのにも拘わらず、財力も、ノウ・ハウも、技術力も管理能力をも持ち合わせていない「遅れて来た者」が自国の利益を護ろうとする多数の弱小新興国の努力の賜物なのです。EEZは、沿岸より200海里の水域を排他的に沿岸国がその経済的主権を行使するということを法制化したものです。その水域は、水中および海底にいる生物資源に限らず、その海底の地下にある非生物資源をも含みます。それでも、世界最大の海軍力を誇り、世界中の七つの海いたるところにも航空母艦を展開する能力を持つ米国は、この国連海洋条約を未だに批准していなくても別に不便はないのです。 

 「先にやった者」と「遅れて来た者」両者の主張は現在でも本質的に同じような議論が「自由貿易主義者」と「保護貿易主義者」との間で行われています。「持てる国」である「力のある国」と「持たざる国」である「弱い国」との闘争なのです。2001年からカタールのドーハで行われていたWTOの「ドーハ開発ラウンド」という多角的貿易交渉が2008年に決裂した事実が南北問題の難しさを如実に示しています。「弱い国」が「持てる国」の資本、技術、知識などが創り出す時代の流れを塞き止め、逆転させる事はまず無理なのです。WTOの法体制の下では、先進国が産業化・工業化のためにかつて使った手段の多くは現在では禁止されています。19世紀のドイツの経済学者フリードリッヒ・リストによれば、「頂点を極めたものが、他の者が追いつかないようにするために今まで昇るために自分が使っていたはしごをけり倒す」ということは「先にやった者」の姑息な常套手段です。リストは、「これがアダム・スミスの言う全世界主義の秘密である」と断言しました。

 現代の「先にやった者の勝ち」のルールは、核兵器不拡散条約に明示的に現れています。核兵器保有国と核兵器非保有国の間に存在する不平等性を永続するように意図されています。核兵器の「特権」は1967年以前に核兵器を開発した「先駆者」を「核兵器国家」として承認して排他的に保存されているのです。

 以上のような、一連の「先にやった者の勝ち」ルールは、同じように、現在の環境保護や持続的開発の目的の為の規制、気候温暖化防止に関わる一酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出量の削減、捕鯨禁止などの要求に見られます。そんな要求が口にされる前は、先進国は自由に好きなことをやって来たのです。だからこそ、世界で3番目に排出量が多いインドのモディ首相はCOP21での演説で「先進国は温暖化を招いた歴史的な責任があり、削減の余地も大きい」と指摘したのです。さらに、開発が遅れている国々で作る「後発開発途上国グループ」の議長で、アフリカ南部、アンゴラビセンテ副大統領も「先進国が引き起こした気候変動は私たちの命を脅かしている」と述べているのです。

 とは言ううものの、地球全体を一つの共同体とみなした時、そこに居住・棲息するすべての生物にとって、温暖化がこれ以上悪化することは防がなければならないはずです。その責任は、193か国にもなった国連加盟国のみならず、事実上の〝国家“として、その領土、住民を実効支配・統治している政府も含めてすべての統治機構にあるのです。温室効果ガス排出量削減の負担は、平衡(equity)を200年に亘って温暖化に加担してきた「先にやってきた国」と50年そこそこの期間しか温暖化にかかわっていない途上国との間に求めていかなければならないのです。

 その平衡を打ち出すためにも、先進国から途上国に対して、排出削減に必要な財政支援、技術移転、ノウ・ハウの伝授などの配慮が欠かせないものだと考えます。それと今まで行われてきた温室効果ガスの排出枠の売買をする「排出取引」などは止めるべきであろう。###