江田憲司大先生の不思議な論理
江田憲司大先生の不思議な論理
鈴木英輔
昨日(2015年5月28日)午後、衆議院平和秘安全法制特別委員会の質疑の中で不思議な論理が横行したのです。今日はここに、そのハプニングを記録しておこうと考えます。
維新の江田大先生が、国際法の「集団的自衛権」について、大先生の学識の深さを御開陳なさったのである。まして大先生は、自ら質疑の冒頭から「論理的に」質疑を進めて行くと、のたまうというご配慮までして下さったのである。さらに、碩学江田先生は、国際司法裁判所(ICJ)が下した「ニカラグア事件」の判決(ICJ Reports 1986年, 14頁)を読んだことがあるのかと、安部総理、岸田外務大臣をはじめとして、内閣法制局長官や外務省の国際法局長までにも、叱咤詰問なされたのである。
では、「ニカラグア事件」の判決をお読みになり、その内容を熟知なさっていると自負される碩学江田先生は、「集団的自衛権」をどのようにご理解なさっているのであろうか。江田大先生いわく、個別的自衛権とは違い、集団的自衛権は、攻撃されていない第三者の国が自国の防衛のためではなく、攻撃された外国の防衛にはせ参じるものであるというICJの判決文にある”the use of collective self-defence by the third State for the benefit of the attacked State”という文言を根拠に(判決、段落第196)、これこそが国際的に有権的な解釈である、とのたまうのである。
ICJの「ニカラグア事件」の判決は、集団的自衛権に関しては、係争当事国双方がともに国際慣習法上、集団的自衛権が確立していることを認めているので、ICJとしては集団的自衛権の行使に必要な特定条件を規定すると述べているのです(判決、段落第194)。つまり、係争当事国は守るべき「集団的自己」(collective self)が何であるかなどという神学論争をする必要もなく、集団的自衛権が何であるかということはすでに良く分かっているということなのです。つまり、直接攻撃されていないA国が、何故攻撃されているB国の防衛のために参戦するのかという意義を理解しているからなのです。換言すれば、守るべき自己を対象とする「個別的自衛権」の延長線上にある「集団的自衛権」は、他国の利益と自国の利益を一体化することによって、B国への攻撃を自国(A国)に対する攻撃と見なし、拡大された集団的自己を防衛するという権利が集団的自衛権であるという概念が前提にあるということを理解しているのです。ですから、「ニカラグア事件」の判決は、集団的自衛権の概念の説明を抜きにして、その集団的自衛権の行使に必要とされる条件を規定しているのです。
集団的自衛権の本質的な要素を理解せずに、江田大先生は集団的自己を守るという行為に対して誰が何をするかという手続き形態に注目して、集団的自衛権は外国を防衛するためにあるのだ、とのたまうのである。ところが、ICJが集団的自衛権の有権的解釈を下している、とのたまう碩学江田先生は、そのICJが「ニカラグア事件」の判決の中で集団的自衛権の内容が何であるかをたどり、米州機構憲章にあるように、「米州の一国の領土保全又は領土不可侵あるいは主権又は政治的独立に対するいかなる侵略行為も、米州の他の全ての諸国に対する侵略行為」とみなされることにあるということをご存じないのである(判決、段落第196)。
江田大先生が自負なさっていた「論理的」質疑も、その本質である集団的自衛権の概念が持つ前提を無視したために、江田大先生がお出しになった結論は必然的に不思議な論理を作り出すことになったのです。
そこで、老婆心ながら、以下の書籍と論文をお勧めいたしたく存じます。
佐瀬昌盛『新版 集団的自衛権 ― 新たな論争のために』(一藝社、2012年)
鈴木英輔「内閣法制局の『集団的自衛権』に関する解釈を超えて:日米安全保障体制の再検討」、『総合政策研究』、第46号、pp27-66。<http://hdl.handle.net/10236/12211>
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