『カエルの楽園』と「護憲原理主義者」と米国の対日政策
鈴木英輔
本書『カエルの楽園』の著者は、『永遠の0』や『海賊と呼ばれた男』で一躍ベストセラー作家となり、かつての放送作家として、どっちかといえば裏方的な立場でいた時と違って、自民党政権中枢部と親交を結びNHK経営委員を始めとして、一躍表舞台の論壇に躍り出た百田(ひゃくた)尚樹氏です。歯に衣着せぬ保守派の論客として傍若無人の活躍をしている百田氏が著した素晴らしい現代政治風刺であるツチガエルの国、ナパージュ王国を舞台にした話です。その寓話の中に「ハンドレッド」という「年中、他のカエルの悪口やら、滅茶苦茶なでたらめを言いまくっている」ナパージュ一の嫌われものという「とんでもない奴」(pp .61-62) として登場しているのが百田氏だと思います。百田氏の心情は同じ新潮社からつい昨年出版された『大放言』(2015年)で吐露されています。前置きはここまでとして、本文に入りましょう。
I.
寓話の背景としてあるものは、日本の安全保障問題であり、その核心として存在している日米関係と日本国憲法、特に憲法第九条の取り扱い方です。そういう安全保障問題の核心に対する寓話に登場する主要人物の政治観とその思考様式に則った寓話です。今年は選挙権が18歳まで引き下がった選挙制度の下で最初の国政選挙があります。是非とも高校生・大学生にこの寓話をよく読んでもらいたいと考えます。
まず物語は、アマガエルであるソクラテスが自分の国を凶悪なダルマガエルの群れに襲われて閉まったために、自国を捨てて、仲間たち60匹のアマガエルと共に安住の地を求めて旅に出るところから始まります。そして、旅の途中、天敵である陸のマムシ、ネズミ、イタチ、川のイワナ、空のカラス、サギ、モズ、ハト、や沼地や池にいるトノサマガエル、アカガエル、ヒキガエル、などからの攻撃を何とか避けながら、森を抜け草原にたどり着いた時にはロベルトという旅仲間だけの二人だけになっていました。その二人がたどり着いたところが、「見たこともないような美しい湿原」(p. 14-15)がある「ナパージュ」というツチガエルの王国です(p. 17)。その「争いや危険は何もない」(p. 17)というナパージュ王国でソクラテスとロベルトが遭遇する人たちとの体験話が痛烈な政治風刺として描かれているのです。その描写が極めてリアルに現代の日本の実情を反映しています。
II.
このナパージュ王国の国民は「平和を愛するカエル」であることを自負しており(p. 18)、「この世界は平和にできて」おり、「平和が壊れるのは、平和を望まない心がある」(p. 24) からであることを疑わない、という人が住む「楽園」(p. 20)なのです。 ソクラテスとロベルトはナパージュには「三戒」という「遠い祖先が作ったもの」をずっと守り続けていることを知らされます(p.26 )。この三戒というものは、一つ目は『カエルを信じろ』。二つ目は『カエルと争うな』。三つ目は『争うための力を持つな』というものです(p. 27)。この三戒が意味するところは、一つ目は日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」ことを指し、二つ目は憲法第九条第一項の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に当たり、三つ目は憲法第九条第二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を示しています。
そしてこの戒律の下で、ナパージュの人は、たとえ襲われても、争いにならないということを信じているのです。なぜなら「ぼくらが争わなければ、争いにはならない」(p.28) からだといいます。もっとも、争いにならないということは、換言すれば、結果的には「単なる虐殺」(p. 65)されて終わることになることには頭が回らないのです。この国は「三戒が誕生してから、一度だって他のカエルに襲われていない」ので、この平和は三戒の教えのお陰以外にはないと信じているからです(p.29)。争う必要がないから三戒の一つである「争うための力を持つな」も同じ精神で作られたのです。ナパージュの人は生まれながらにして、体に持っている小さな毒腺を子供のころにつぶしてしまうのです。「毒なんか持ってるから争いが起こる」と考えているからです(p. 29)。
ナパージュ王国の南側には巨大な沼があり、その水はどす黒く汚れていて、その匂いが崖の上まで漂ってきています。その沼の中には何百匹という「あらゆるカエルを飲みこむ巨大で凶悪な」ウシガエルが棲んでいます(p. 33)。その沼地にはウシガエル以外の他のカエルも沢山いるのですが、年老いたツチガエルの話によると、「毎日、ウシガエルたちに食べられておるよ。風のない日には、時々彼らの悲鳴がここまで聞こえてくる」ということです(p. 35)。ソクラテスが「助けてやろうとは思わないんですか?」と尋ねても、返ってくる答えは、素っ気ないものでした。「助ける?どうやって?それにわしらには関係ないことだ。余計なことをしてウシガエルを怒らせたりしたら、いいことはなにもない。ナパージュのカエルは、他のカエルたちの騒動にはかかわらないのだ」(p. 35)という自分だけが無事でよければいいという「一国平和主義」なのです。
三戒と「謝りソング」という大勢のツチガエルが集まっているお祭り広場で歌われている「なんだか変わった、陰気で湿っぽい歌」がナパージュ王国の心構えを形成しているのです。
我々は、生まれながらに罪深きカエル
すべての罪は、我らにあり
さあ、今こそみんなで謝ろう
この「謝りソング」は、だれに謝っているのかは分からないが、「あたしたちの罪を謝ることによって、世界の平和を願っている」(p.39) のです。これを「原罪」と言って「私たちの遠い祖先が過去に犯した過ち」(p.40) なのです。そういう説明をしてくれたローラという若い女性によると、「謝ることで争いを避けることができ」、ツチガエルたちは「この歌を歌いながら、平和を願っている」ので、「これは祈りの歌でもある」のだといいます。
「遠い過去の過ち」には「ナポレオンの岩場」という「大昔、ここでツチガエルたちが何百匹も殺されたの」という処があり(p.43)、その岩場の下に置かれている石碑には「ごめんなさい」と文字が刻まれています。「昔、わたしたちの祖先が悪いことをしたのだ。それでナポレオン岩場でたくさんのカエルたちが殺された。この石は、二度とそういうことが起こらないようにという思いを込めて、犠牲になったカエルたちに謝っているのだ」と説明されています(p. 45)。ロベルトは感激して、「原罪を背負い、すべてのものに向かって謝り、祈るというのは、もはや思想を超えた美ともいえるものだ」(p. 46)と心酔してしまうのです。
ナパージュの国で「一番の物知り」といわれ、「毎日、朝と夜に、ハスの沼地で皆を集めて、いろんなことを教えて」いるデイブレイクというツチガエルによると、「ナパージュの歴史は暗く嫌なものです。血塗られた歴史と言えましょう」(p.56) と顔をしかめ、「かつてナパージュのカエルたちは、周辺のカエルの国を奪い、大勢のカエルたちを虐殺しました」と義憤あらわにしていました(P.57)。そこでロベルトが「今は平和な国になったのですね」と確かめると、
「少しも平和になどなっていません。それは見せかけの安穏(あんのん)です。ナパージュのカエルたちを放っておくと、また周辺のカエルたちに争いをしかけるようになります。ナパージュのカエルの本性はそういうものなのです。ですから、わたしが毎日こうして集会で、みんなの考えが正しい方向に行くように指導しているのです」と米国の対日政策の一環である日米安保体制の「ビンのふた」論を代弁しているのです。当時の駐沖縄米軍司令官ヘンリー・C・ストックポール中将は1990年3月に「誰も再軍備し、再起した日本など欲しない。だから在日米軍はビンの蓋なのだ」と豪語できたのです(『ワシントン・ポスト』紙、1990年3月27日)。まして、このような「理解」は米政府の最高レベルで共有されているのです。1971年7月に、当時のニクソン政権で安全保障担当の大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーが北京で周恩来首相に「我々と日本との防衛関係が日本に侵略的な政策を追求させなくしている」と言い、「総理、日本に関しては、貴国の利益と我々の利益とはとても似通っています。どちらも日本が大々的に再軍備した姿を見たくはありません。そこにある我々の基地は純粋に防衛的なもので彼ら自身の再武装を先送りすることが出来ます」と主張していたことは、『周恩来・キッシンジャー機密会談記録』(岩波書店、2004年)に記されています。
デイブレイクはさらに、「もし、わたしがいなければ、ナパージュのカエルたちは再び周辺のカエルたちを殺しに行くでしょう。哀れなことに、彼らは自分たちのことを何も知らないのです。彼らを自由にさせれば、どんどん残虐なカエルになっていってしまいます。わたしがこうして毎日、朝と夜に『正しく生きる道』を説いているからこそ、彼らはなんとか悪い行いをせずに生きています。もしわたしが倒れれば、この国はどうなるか――それを考えると、心休まる時はありません」と涙を流しました(P.58)。デイブレイクの主張は米国の主張と同じなのです。
III.
デイブレイクにとっては、「過去に自分たちの祖先がいかにひどいことをしてきたかということを、繰り返し教え」ることと、「自分の本質は悪いカエルであるということを知れば、カエルは悪いことをしません」(p.60)という教えが「三戒」であり、「謝りソング」なのです。
「それは違うぞ」と「草むらの陰から一匹の薄汚れた老ツチガエル」が現れました(P.61)。ハンドレッドの登場です。「たしかに俺は放言癖がある。しかし言っていることがすべてでたらめというのは、デイブレイクの嘘だ。あいつは俺を目の敵にしている。もっとも、俺もあいつは大嫌いだが」と自分を笑っていました(P.62)。ハンドレッドが言うのには、ナパージュが争うこともなく長らく平和を保つことができたのは、デイブレイクが教えるように、「三戒」などのお陰ではない、と言うのです。彼は、「ウシガエルたちがこの国を襲わなかったのは、少し前まで、連中の多くがオタマジャクシだったり、病気で弱っていたからだ」と説明するのでした(p.65)。
そのことは、世界的に著名な戦略家であるエドワード・ルトワック氏が説くように、中国は、毛沢東の恐怖政治が毛の死とともに終焉し、その後を引きついた鄧小平の経済開放路線も天安門の虐殺事件で挫折したものの、2000年ごろからは積極的にその発展する経済力に軸を置く平和路線に移行して、国際社会に対して中国の台頭が脅威とならないように気を配っていたからです。つまり「この当時の中国は、どの国にとっても恐ろしい存在ではなかったし、国際秩序に対しても脅威になっていなかった。領海や国連海洋法条約、それに国際的な金融取引の取り決めなど、私的・公的を問わず、中国は実に多くの面で国際法を守っていたから」です(『中国(チャイナ)4.0―暴発する中華帝国』、文春新書、2016年)。 それと、スチームボートが自負するように、ナパージュにとっては、「偉大なるスチームボート様がいるからだ」と言うのです。このスチームボートこそ、「ナパージュの僭主」であり、「この国の本当の支配者」として「東の岩山の頂上に棲んでいる」巨大なワシなのです(p.66-67)。
ナパージュの三戒は、「あれはわしが作ったものだ」(p.70)とスチームボートが断言しているのです。ソクラテスがナパージュのカエルは自分たちの先祖が作ったものだと言っていることを伝えると、「それは嘘だ。わしがカエルたちに作れと命じて、彼らはその通りに作った。それで、カエルたちは自分たちが作ったつもりでいるのだろう」と言うのです。さらにスチームボートは「三戒の中にある『カエル』という言葉は、もともと『スチームボート様』だったのだ」(p.71)という驚くべきことを言うのです。
ソクラテスやロベルトが驚くことも不思議ではないのです。今や、日本の敗戦を決定した「ポツダム宣言」を読んだことがない人が沢山いるのですから。「ポツダム宣言」の受諾により、その後の正式な(1)「降伏文書」、(2)一般命令第一号、(3)天皇の布告文はすべてもともと英語で書かれており、戦勝国米国の指示により書かされたものなのです。ですから、敗戦後の連合国と言っても実際は米国の対日占領政策は戦勝国米国の利益のためにあったのです。敗戦後いかに日本が米国の植民地同然の扱いを受けてきているのか、矢部宏治氏が二年前に著した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年)に詳しく分析されています。この矢部氏の本を皆さんに是非『カエルの楽園』と一緒に読んでほしいと願います。
昨年以来「立憲主義」に関する議論が盛んにおこなわれていますが、そもそも、この議論の対象である日本国憲法はその制定時において無効であったのです。まして、1907年のハーグ陸戦条約の第43条には、「占領者は、絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重する」と規定されていたのです。
いかなる憲法でも一国の基本法である憲法は「主権者」たるものが制定するはずです。その主権者が君主であろうとも、「市民革命」を経た国民であってもです。ですから、日本国憲法には主権在民の原則の下に、その前文で「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と記されています。とはいうものの、憲法が策定された当時には、敗戦国日本は占領下にあり、主権などと言うものは喪失していたのです。主権者不在のままに憲法を制定したのですから、本来この日本国憲法は効力を持ち得なかったのです。そんな無効である憲法が現在合法であるとみなされているのは、政(まつりごと)をつかさどる支配者が、その違法な憲法に則って政を継続的にかつ実効的に執行してきたということが、その憲法の本来の違法性を払拭しつつ、同時にその憲法に正当性を生み出してきたからです。
では、だれが実際の実効力としての権力を以って憲法を書き制定したのでしょうか。それは言わずもがな、連合国最高総司令官マッカーサー率いるGHQだったのです。
1945年9月2日に署名した「降伏文書」には「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれるものとす」[“The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.”] と念を押しているのです。英語の原文にある “subject to” が日本語訳で「従属する」と正確に訳されずに“制限の下に置かれる”のように曖昧になったのは、ポツダム宣言を受諾するか否かという軍部との対立があった危機状況を考えれば致し方なかったのでしょう。1945年9月2日の降伏文書に署名したこの時に日本国は正式に独立国家としての主権を失ったのです。
日本国憲法の制定過程などと言うものも、その実態はGHQの厳しい検閲の下に、江藤淳『閉ざされた言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫)に詳細に解明されているように、憲法草案の執筆やそれに関する一切の言及は禁じられており、その草案を審議したという「帝国議会」はどうかと言えば、
<<そもそもGHQが憲法草案を書く直前の1946年1月には、466人いた衆議院
議員(解散中)のうち381人、なんと全体の82パーセントがGHQによって
「不適格」と判断され、公職追放されていたのです。彼らは憲法改正を審議した
第90回帝国議会(1946年6月20日―10月11日)の議員を選んだ、同年4月の
総選挙に立候補することができませんでした。>>(『公職追放論』増田弘・
岩波書店)
そういう事実を隠蔽して、本当は日本人が書いたなどと言ったり、ロベルトのように「もともとはスチームボートが作らせたとしても、三戒はやはり素晴らしいものだと思う。成り立ちはともかく、出来上がったものはそれを純粋に評価すべきじゃないか。最初はスチームボートのために作られたものだったかもしれないが、ナパージュのカエルたちが自分たちのものとしたんだ」(p.75-76)と言うのもおかしいのです。矢部氏が言うように、「『内容が良ければ、だれが書いたかなんて、どうでもいいんだ』などと言います。よくありません。それはまったくのまちがいです。憲法と言うのは国家を運営する上での原理原則、根幹です。そこにあきらかなウソがあっては、枝葉の部分はめちゃくちゃになってしまうのです。それがいまの日本なの」です。
柄谷行人氏が「憲法九条が強制されたものだということと、日本人がそれを自主的に受け入れたこととは、矛盾しないのです」(『憲法の無意識』岩波新書、2016年)と言うときには、どのような政治状況の下で「自主的に受け入れた」のかと言う根本的な問題に対して十分な吟味をしていないのではないかと思います。敗戦後の日本の憲法学界を牽引し、「日本の憲法学の最高権威」とまで言われた「体制迎合派の代表的存在」である宮沢俊義・東京大学法学部教授の言う「八月革命」論を容認しているように見えます。柄谷氏は「日本が1945年8月にポツダム宣言を受諾したとき、主権の所在が天皇から国民に変更された。これは法的な意味で「革命」である。そして、この変更は連合軍諸国によって承認された。この時点で、旧憲法は国民主権と矛盾する限りで効力を失った、というわけです。ゆえに新憲法を制定した帝国議会は、すでに国民主権にもとづくものであり、そこで承認された新憲法は正当である、ということになります」と是認しているように見えます。
しかし、すでに上述したように「新憲法を制定した帝国議会」というものは、GHQの絶対的なコントロールに置かれており、江藤淳の言う「閉ざされた言語空間」の下では「国民主権」を行使できるような状況にいなかったことは否定できません。にも拘らず、「そこで承認された新憲法」を「正当である」とみなすことは、まさに「無意識」のうちにその時の体制に迎合しているのでしょう。それこそが一国だけの天下を収めた徳川が新たに敷いた武家諸法度に基づき幕藩体制の下で諸大名を統制していた「徳川の平和」と、独立した主権国家の連合諸国が手にした「平和」、単に5年ももたなかったその「平和」を前提とした新憲法とを同じ普遍性を持つものとみなし、「徳川の『国制』こそ、戦後憲法九条の先行形態である」とすることに、どこか無理があるのではないでしょうか。
IV.
デイブレイクにとっては、ナパージュの「真の自由と独立、そして本当の平和」を得るためには、三戒を守り『謝りソング』を歌っていれば良いので、ロベルトが説くように、「争いが起こらないということを前提に考えることが大事」であって、「争いが起こらないとすれば、当然、毒腺などはまったく無意味なもの」(p. 80)になります。そこで、このような思考をすれば、当然、「争いを避けることのほうがずっと大事だ」(p. 114)と言うことになります。その結果、長い間ウシガエルは崖の壁の中腹までしか登ってこなかったのに、今までの崖の壁の真ん中から上半分はナパージュのもの、下半分はウシガエルたちのものと言う不文律を破って「今では崖のふちの近くまで来ていた」(p. 117 )という現実に直面しても、「そんなもの。破られたところで、どうということはありません。なぜなら、崖の壁の部分は、ナパージュにとって何も重要なものではないからです。それとも、あなたはそんなどうでもいい壁ごときで、ウシガエルと争いたいと言うのでしょうか?ウシガエルと争うということはどういうことかわかっているのですか。大勢のツチガエルが死ぬことになるんですよ。そのうえ、たとえ勝ったところで、何の役にも立たない崖の壁を手に入れるだけのことです。つまり、そんな争いはまったく無意味ということなのです。そんなことは絶対に行ってはなりません。皆さん、そうではありませんか」(p. 119)とデイブレイクに言われると、ソクラテスでも「たしかに、役にも立たない崖の壁をめぐって命を失うような争いをするのは無意味だというデイブレイクの言い分は理解」(p. 119)できる気になるのです。
そこでナパージュの元老会議が招集されましたが、何もしなければ、彼らが南の崖を登ってきても、「それならばいいのではないか」(p. 124)という答えでした。その答えに不満な「一番若い元老で、いうことがいつも過激」(p.120)なプロメテウスが「では、ナパージュの国の意味はなんでしょう。南のウシガエルが自由にナパージュに出入りしてもいいとなれば、ここが私たちの国であるという意味はどこにありますか?」(p. 124-125)と聞いても元老は答えられず、結局、元老会議は何も決めることできずに散会したのでした。
プロメテウスが言ったことは、何も寓話だけの話ではなく、実際に現在日本の中で起きていることなのです。日本には、宗主国米国に対しては国境がないのです。前にも引用した矢部氏の話を聞いてみましょう。
<<太平洋上空から首都圏全体をおおう巨大な空域が米軍によって支配されて
います。日本の飛行機はそこを飛べませんし、米軍から情報をもらわなければ、
どんな飛行機が飛んでいるかもわかりません。そしてその管理空域の下には、
横田や厚木、座間、横須賀などといった、沖縄並みの巨大な米軍基地が首都東京
を取りかこむように存在しており、それらの基地の内側は日米地位協定によって
治外法権状態であることが画定しています。このふたつの確定した事実から導か
れる論理的結論は、「日本には国境がない」という事実です。>>
「国境がない」ということは国際法上一つの「主権国家」として他国から承認される必須要件とされる、領土、人口とその二つを支配する統治機構(政府)という三要素の一つである領域がないのに等しいのです。但し、矢部氏の言い分にはオバーな点もあります。「国家」が国際法上の国家として承認を受ける以前にはその国には、国内的に統治者が主権者であると誇示しても、対外的には主権国家として認められていないのです。対外的な主権は他国から承認を受けてのみ発生するのです。従って、矢部氏が「日本は独立国家ではない」ということは対アメリカとの関係においてであることを留意すべきだと考えます。対米関係において、敗戦国日本は所詮、植民地であって、宗主国米国には従属しなければいけないのです。
そうこうしている内に、今度はウシガエルが南の崖の上に二匹現れたという情報が入りました。元老会議が開かれても、議論は平行線をたどり、全く埒(らち)が開きません。そこで、プロメテウスが「スチームボートに、南の崖を見張ってもらうというのはどうでしょう」 (p.135)と別の提案をすると、他の元老はその提案をしぶしぶ受け入れ、プロメテウスがスチームボートに直接そのことを頼みに行くことになりました。翌日、元老会議にその結果を報告した際に、「スチームボートは、自分がウシガエを追い払うときにはツチガエルも一緒に戦うように」(p.137)という提案をしてきたことを伝えました。元老たちの反応は一斉に、「それはならん!」、「そんなことをすれば、完全に三戒違反だ!」(p.137)などと元老会議は騒然となりました。
いろいろの議論の結果分かってきたことは、スチームボートがナパージュを守るために戦っていても、ナパージュのツチガエルはスチームボートを援助できないということと、またスチームボートが、タカや狐などの敵に襲われてもツチガエルはその毒腺を使って助けることもできないということです。これに関して、「一番の年長者で長と呼ばれて」(p.120)いる元老のガルディアンが「スチームボートの戦いに参加させられる」というようなことは「話にならん!」と吐き捨てるように言ってました (p.139)。ガルディアンは、「スチームボートはツチガエルを家来にして、自分の戦いに自由に使おうとしているのがわからんのか。そんな条件を呑めば、我らはスチームボートの背中に乗せられて、世界中で争うことになる。しかもスチームボートがやりたがっている戦い」(p.139) となることを危惧しているのです。
このガルディアンの考えは保守派の言論を指導してきた江藤淳にしても、「私は政治的には中道・リベラル派の人間」と自負している矢部宏治氏にしても、左右の区別なく発せられるものです。江藤淳は日本の自衛隊は、「あくまでもアメリカの世界戦略条の補完的軍事力であって、北東アジアの日本戦域における現地人を充当した地域・戦術的部隊である、と規定されているはず」と言明しているし(『日米戦争は終わっていない』文芸春秋ネスコ、1987年)、矢部氏はさらに、「オモテの憲法をどう変えても、その上位法である安保法体系、密約法体系との関係を修正しない限り、『戦時には自衛隊は在日米軍の指揮下に入る』ことになる。『戦力』や『行動の自由』をもてばもつほど、米軍の世界戦略のもとで、より便利に、そして従属的に使われるというパラドックスにおちいってしまいます」と警告しているのです。
しかし、同盟国アメリカ側の理解は少し違うようです。すでに明らかなように、前述のルトワック氏によると、「日本は国家安全保障面でアメリカから独立していないからだ。だからこそ、中国からのあらゆる圧力は、アメリカ側にそのまま受け渡される形となった。いわば、アメリカへの『バックパッシング』(buck-passing)、つまり「責任転嫁」である」と言います。つまり、尖閣諸島防衛に関しての米軍の参加に関する疑問です。「中国の脅威から積極的に守ってくれ」という日本からの要請が日米関係に厄介な問題を生じることになったというのです。米国が日本の防衛に関して戦略面で日本を守ること自体には、何ら問題はないのです。ミサイル防衛システムも、米軍基地もその他の設備・装備が存在し、空母も派遣されているのですから。「ところが中国の脅威というのは、その性質が異なる。日本本土への侵攻というより、離島の占拠だからだ。率直に言って、アメリカは、現状では日本の島の防衛までは面倒を見切れないのである」という。
なぜかと言えば、「たしかにアメリカという同盟国は、日本を『守る』能力と意志を持っている。しかし、この『守る』とは、『日本の根幹としての統治機構システムを守る』という意味である。中国軍が日本の本州に上陸しようとしても、アメリカはそれを阻止できるが、そのアメリカも、ほとんど人が住んでいないような、日本の一つ一つの島まで積極的に守ることはできない。端的に言って、これを守るのは、完全に日本側の責任だ」というのです。
もっともこのことは既に、「日米同盟:未来のための変革と再編」という日米合意文書(2005年10月29日)の中に、「日本は、弾道ミサイル攻撃やゲリラ、特殊部隊による攻撃、島嶼部への侵略といった、新たな脅威や多様な事態への対処を含めて、自らを防衛し、周辺事態に対応する」と明記されているわけです。つまり尖閣諸島のような島嶼防衛は日本の責任なのです。残念ながら、日本の政策論争には、「自衛権」の保持を認めながらも、その権利を行使するのにどのような手段をとるかという問題に真摯に向かい合ってこなかったのです。
V.
どこの国の憲法でも、国家として固有の自衛権の保持をその国の憲法に明記する必要はないのです。ちょうど戦争を違法化した「不戦条約」が条約本文の中に自衛権を明記せずにも、国家として当然持つものと理解されているのと同じことなのです。よって、この固有の権利が否定されるためには明示的にその旨規定されなければならないはずなのです。
その定義の論理的結末は、第九条で禁止されている「武力の行使」を伴わない「自衛権」論が登場し、「武力」の代替として「実力」という言葉が使われ、その「実力」が第九条の「戦力」の定義に組み入れられたために別の問題を作り出したのです。この「武力の行使」を供なわない「自衛権」論ほど馬鹿げた話はないのです。そもそも自衛権なるものは本来、通常の場合には違法となりうる行為であっても、急迫不正の侵害に対してやむを得ずとった行為に対しては、その違法性が阻却される事由となるものであって、「武力の行使」を伴わない行動・行為というものは、脅迫や詐欺等のように行動・行為自体が違法なものを除けば、最初から違法であるということはないのです。いつでもその行動・行為を遂行することが許されています。従って、「自衛権」に訴えるなどの必要性は存在しないのです。当時の林修三元内閣法制局長官が言うように「外交的手段による自衛権などというものは、本当の意味の自衛権ではない。こういう説は、自衛権を肯定するといいながら、実は、自衛権を認めないもの」なのです。
ですから、佐々木惣一の主張にあるように、「国際紛争を解決する手段としてではなく、戦争をし、武力による威嚇をし、武力を行使することは、憲法はこれを放棄していない」のです(『憲法学論文選(3)』、有斐閣、1957年。そういういった緻密な議論がなされないままに来たために、「自衛権」自体が机上の空論のごとき文言上の吟味に陥り、武力を以って攻撃してくる外国軍隊に、自衛のために武力行使を以って国を防衛する、ということは、実際には兵器・武器を以って攻撃相手と戦火を交える、ということです。国際法上は武力抗争の直接的当事者の開戦行為の合法性や違法性にはまったく関係なく、交戦当事国双方は、戦争状態にあるときに、そこに従事する人・組織の全てを戦時国際法又は現在の「武力紛争法」と呼ばれる法規範(jus in bello)に服させなければ成らないのです。
ところが、ナパージュ王国には、『進歩的カエル』と呼ばれているカエルが大きな影響力を持っていて、彼らがデイブレイクの支持者・応援団体を形成している取り巻き仲間です。「『語り屋』とか、『物知り屋』とか、『説明屋』とか、『評論家』とか、いう連中」で、自分たちは「どのカエルよりも賢くて、頭がいいと思っている鼻もちないカエルたち」(p.193-194) がいるのです。いってみればナパージュの「三戒を守る会」を代表するような原理主義者です。その原理主義者の一人とみなされるシャープパイプの以下の発言が典型的なのです。
<<三戒をなくすなど、絶対にあってはならない。ナパージュのカエルは戦って
はいけないんだ。徹底的に無抵抗を貫くべきなのだ。もしウシガエルがこの国
に攻めてきたら、 無条件で降伏すればいい。そしてそこから話し合えばい
い。それが 平和的解決というものだ。戦ったりすれば、多くのツチガエルが
死ぬことになる。そんな悲劇を回避するためにも、絶対に抵抗してはならない
(p.195)!>>
こういう極端に二分化された硬直した議論は、結果的には、日本の安全保障政策を米国に従属させ、日本独自の「平和主義」という空虚なスローガンの下での「不戦絶対主義」がもたらしたものは、国を守る気概を喪失し、国を守るためのメカニズムを作り出すことを怠ってきたのです。その結果として出てきたのがこの『カエルの楽園』で展開される外からのウシガエルの攻撃に対して、「南の崖をどうやって守ろうかという具体的な案を、少しも出されない」(p.141)という現実なのです。
現在のような政治状況が続くならば、『カエルの楽園』の結論が示すように独立国日本は存在しなくなる恐れは十分にあるのです。柄谷氏が言うように、憲法「九条は護憲派によって守られているのではない」のです。本来無効であった憲法であっても、占領下という国内政治環境と、当時日本が置かれていた国際政治状況の下で受け入れられてきたものなのです。従って、ナパージュ王国の「三戒」に象徴される日本国憲法の前文にある「平和主義」と第九条の「不戦」と「非武装」を守るという、いわゆる「護憲原理主義者」は、日本を永久に敗戦国として米国に従属させるという米国の対日政策を代弁しているのです。
ではどうすれば、自ら主体性をもって自分の国を守る気概を醸成することができるのでしょうか。単刀直入に言えば、現在の所謂矢部宏治氏が「原子力村」に引っ掛けてアナロジーとして使った「安保村」を形成した法的根拠である憲法第九条第二項を削除することです。そこから派生する日米安保条約と日米地位協定の見直しです。それ以外に、現在の日本が直面している半独立国や「植民地」としての姿は変わらないのでしょう。日本の外務・防衛を中心として官僚は宗主国の利益を増進・維持するという植民地の「シビル・サービス」となり下り、宗主国の権威・権力を代表する現地人の行政官になり果てているのが現実です。
沖縄返還交渉の際に佐藤首相の隠密特使としてヘンリー・キッシンジャーと交渉を重ねた若泉啓京都産業大学教授は、1994年に上梓した『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』 の英語版序文に以下のことを記しています。
<<いかなる国と国との関係も、当然のことではあるが、不変で永久ということは
ありえない。個人間の友情とは異なるのだ。戦後今日までいわば惰性で維持さ
れてきた日米安保条約を中核とする日米友好協力関係を、徹底的に再検討する
ことは、不可避である。そのような再検討は、必ずや両国の長期的且つ基本的
な目標と考え方の再定義を引き出すはずであるし、日本国民をして、(アジア
やその他の世界の利益や米国の利益のためにも、)日本の理想と国益を普遍的
な見地からはっきりと且つ確信をもって的確に表現することを必要とすること
になる。>>
ここで肝心なことは、「日本の理想と国益を普遍的な見地から」設定することであって、そのためにも同盟関係は不変ではありえないのですから国際社会の現状と展望を見据えて日米関係を徹底的に再吟味すべきだということです。言うまでもなく、日米両国、それぞれの地理上の物理的且つ戦略的行動範囲は比較にならないほど差があります。世界の七つの海のどこにでもいつでも航空母艦を展開できる国とは、自ずからそれぞれの国益が一致しない領域が発生するのが自然なのです。
現行の日米安保条約の効力は1970年以降一年だけです。つまり、安保条約第十条の但し書きには、「この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対してこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する」と規定されているのです。日米地位協定は安保条約に付随するものですから、元の条約が効力を失えば、地位協定は自然消滅します。しかし、日本側に用意ができていなければ、すぐに同盟関係を解消するわけにもいかないのが現実です。かつての日英同盟の解消とは全く異なった条件の下で日米関係は存在するのですから。日本の安全保障はすべて米国に依存しているからです。福澤諭吉がいみじくも言ったように、「一国の独立は国民の独立心からわいて出る」のです。その独立心を喪失した国がどのような末路を迎えるのか『カエルの楽園』は端的に示しているのです。###