新安保法制の残された課題:もう一つの新しい憲法解釈の必要性

 

新安保法制の残された課題:

もう一つの新しい憲法解釈の必要性

 

鈴木英輔✴

   2015年9月19日未明に安全保障法制関連法案が参議院で可決成立しました。これで、1960年の旧日米安全保障条約改定以来、日米同盟関係の懸案事項であった「片務性」が、集団的自衛権の行使を合憲とする国際法と国際慣行に合った正しい解釈を採択することによって、やっと是正されることになりました。 それと同時に、断片的に事が起こるたびに新たな活動とその権限を明記した特別時限立法を必要としなければならなかったというバラバラな法律が乱立していた混乱状態を正し、安全保障法制を各々の個別立法が相互に整合し一貫性を持つ恒久法として改正・整備されたことは、大変喜ばしいことだと考えます。

   これにより今まで日本の自衛隊の参加した国連PKO部隊はその自らの身の安全を外国のPKO部隊に守ってもらっているという屈辱と、逆に国連PKOの同僚であるべきその外国のPKO部隊の救援にも行くことが許されない、という利己的な自分勝手な拘束から解放されることになり、国際社会から日本のPKO部隊が非難されるような肩身の狭い思いをする必要もなくなりました。新しい日本の安全保障法制の歴史的な第一歩が踏み出され、やっと、新たな責任ある日本の姿が形成され始めたのです。

I.

 但し、集団的自衛権の新たな解釈が確立しても、責任ある主権国家として国際の平和及び安全を維持するために、憲法第9条第2項の「戦力」と「交戦権」という概念を、どのように対処すべきか、という根本的な問題が残っているのです。最もきれいな処理の仕方は憲法第9条第2項をきっぱりと削除すればよいのですが、憲法改正が困難であるという現実を踏まえれば、新たに解釈の変更をするしか他に良い策はない、というのも現実です。この問題を積極的に解決するために、日本の安全保障を国際の平和と安全との一環として捉えて、憲法第9条第1項と第2項を法政策論的に統合・整理し直す解釈の必要があると考えます。

 憲法第9条第1項と第2項との解釈が統合されていないことは、1952年11月に法制局見解が最初に出た時からの根本的な問題として認識されていました。つまり、「戦力」の保持は「侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず」禁止されている、とした同条第2項の解釈と、「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるもの」という「『戦力』に至らざる程度の実力」を保持して、これを「直接侵略防衛のように供することは違憲ではない」としたことから始まった、同条第1項の下での自衛行動を容認する解釈との間にボタンの付け違いを生じ、本来、第1項と第2項は「不離一体の規範をなすと解するのが合理的なもの」であるべきだ、と当時の法制局次長高辻正己氏が述べていたのです。

 しかし。高辻氏の懸念は第9条第2項の「戦力」に関するものであり、「交戦権」に対する考察が全く欠落しているのです。したがって、同条第1項と第2項との全体的な解釈に関する統合性が欠如していることは、良く引用されるカール・シュミットの主権の定義でもある「例外状態に関して決定を下す権利」を持たないといわれるほどに、日本の国際法上の主権国としての能力を著しく損なってきたのです。碩学佐々木惣一博士が説くように、「国家は、自己の目的を達するがために如何なる行動をすることが必要であるかを、任意に定め、任意に行うものとして存在する活動体である」にも拘らず、自衛戦争能力の有無を判断する理解が混乱しているからです。

 憲法第9条の解釈問題の内、第1項で「武力」による自衛権を認めたことにより第2項の「交戦権」をどのように取り扱うかがもっとも困難なものだと考えられてきました。憲法第9条第1項の解釈として現在までに公式見解として落ち着いてきた解釈は、自衛のための「武力の行使」は禁じられていないと判断されており、「その行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持」できる、と解釈しています。但し「自衛戦争」とまで切り出していないのは、文言にこだわり、「武力」を「実力」と言い換えることでその場を逃げるのと同じように、「自衛行動権」などという意味不明な概念の「創作ごっこ」をしているのが悲しい現実なのです。そこで本稿では、そのような、つまらない「ことば遊び」はもうきっぱりと止めることにして、普通の言葉で具体的に話をしましょう。

 佐々木惣一博士が『日本国憲法論』(1949年)の中で、第1項の「戦争の放棄」に関して「国際紛争を解決する手段としては、戦争を放棄するのだから、国際紛争を解決する手段としてではなく戦争をおこなうことは、これを放棄しない」と述べているように、「憲法第九条第二項の、交戦権を認めないと定めることを根拠として、同条第一項を解して、戦争は、国際紛争を解決する手段以外の手段としても、これを放棄するものと、考えてはならぬ」と戒めているのです。しかし、そう云われても、「それならば何故に、第2項後段でわざわざ『国の交戦権は、これを認めない』としたのか、納得のゆく説明は与えにくい」と小林直樹教授に指摘されてきました(『憲法第九条』(1982年))。

 まして、後に「自衛のためにする戦力保持は禁止されたものではない」(『改訂日本国憲法』、1954年)という結論に到着した佐々木博士も、当初は「わが国がかくのごとく戦力の保持を放棄するのは、前示の戦争の放棄、及び武力威嚇又は武力行使の放棄という目的を達するためにするのである」と説明しており、その理由を「軍その他戦力を保持するならば、戦争をしたり、武力の威嚇又は行使をしたりすることが、起きるかも知れぬからである」と懸念していたのです。(『日本国憲法』、1949年) 但し、この見解は当時まだGHQの言語統制 の下で「閉ざされた言語空間」で発表されたものであり、必ず検閲を受けていたということを理解しておくことが大事だと考えます。

 国際法上、「交戦権」という名称の国家の権利は一般的に使われていないのが常識なのです。政府見解によると、交戦権とは「交戦国国際法上有する種々の権利の総称」であると定義しています。その「総称」といわれる「権利」の中に含まれるものは1907年のハーグ交戦法規、戦争犠牲者の保護を規律したジュネーブ諸条約さらに国際慣習法に含まれている権利・義務なのです。具体的には、戦時国際法と呼ばれる交戦相手国の兵士の殺害、兵器・軍事施設の破壊から海上封鎖、臨検、拿捕、占領地での軍政、捕虜としての地位と待遇、敵国領土内または敵軍の占領地帯内に存在する建物および工作物の破壊、敵国領土・占領地内での軍事情報の収集、敵国を利する行為に従事する中立国の船舶・航空機の臨検・拿捕などを執行する権利です。 

 当初、政府は、「憲法に禁止しておるのは戦力であって武力ではない」と主張して、自衛のための武力を憲法第9条第1項で認めるために、第2項の「戦力」を第1項の「武力」から分離させたのです。岡崎勝男外務大臣は1959年3月15日、衆議院外務委員会で、「自衛のための武力の行使」に関しての質疑に対して、「自衛のために武力を行使する」のであって、「憲法に禁止しておるのは戦力であって武力ではない」と延べ「自衛のために武力を使うことはさしつかえない」と答弁していたのです。そして、第2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」は、第1項の「国際平和を誠実に希求」することに求められ、第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」とする交戦権の否認は全面的であると解していたのです。つまり、侵略戦争でも自衛戦争でも、どちらにも「交戦権」は否認されているということだったのです。それは、上述したような戦争遂行に関する諸々の権利が含まれる「このような意味の交戦権」を否認したのです。「自衛のための戦争」は憲法第9条第1項で禁じられていない、と主張した佐々木博士も、「交戦権を認めない」というのは、「他の国家に対して、戦争に関して国際法上に存する意思の主張を為す力を用いない」ことを言うのであり、そのことは「戦争という事実行動を為さない、ということではない」という歯切れの悪い区別を使って説明をしようと試みましたが、あまり説得力はなかった、と言われていたのが実情でした。

 憲法第9条第2項にある「前項の目的を達するため」という文言は、第1項の国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行動をとらないという目的を貫徹して実現するための「戦力」の不保持であり、「交戦権」の否認であるわけです。従って、佐々木博士が説くように「ただ漠然と戦力を保持しないと定めたのではなく、国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行動やに用いるものとしての戦力を保持しない、と定めた」のです。よって「国際紛争を解決する手段としてではない、自衛のために用いるものとして戦力を保持することは、同条第2項の放棄するところではない」のです。

 ここで一つ問題が出てきます。攻撃してくるものに、どのように武力を以って自衛のために対処すべきか、という問題が残るわけです。 もちろん武力の行使を以て攻撃してくる敵と争いを交えるのですから、自衛のための戦争をするのです。つまり、「総称」としての「交戦権」を否認したのですが、攻撃してくる相手に対峙して自衛のために武力を行使するわけなので、そのために必要な武力による敵対行為を遂行する手段・方法等を規律する国際法規に服さなければならないのは当然なことなのです。したがって、1954年3月15日の衆議院外務委員会での岡崎外務大臣の答弁にあるように「交戦権がなければ人を撃退したり人を傷つけたりすることは全然できないのだという仮定」に立つわけではないのです。実際に争いが起きたときに「交戦権がなければ捕虜をつかまえられないというのは」おかしいのは当然なのです。にも拘らず、「交戦権」と呼ばれるものが具体的に、どのような様態を持っているかの追求がほとんどないのです。わずかに佐々木博士が「交戦する権利なのか、又は、交戦している国家が戦争について或る行動を為すという権利なのか学者の所説は一定していない」と述べているぐらいです。 

II.

 1978年8月16日の衆議院内閣委員会での真田秀夫内閣法制局長官の答弁によると、「自衛のための武力行使」に相応して「自衛のための交戦権」と称すると、第2項の後段で交戦権は認めないと言っていることとの関係で、「非常に誤解を招く」ことになると説明しています。この交戦権というのは、すでに述べたように「いわゆる国際法交戦国が持っている、交戦国に与えられておる、占領地の行政をやるとか、あるいは敵性の船舶を拿捕するとか、そういうような交戦国に与えられておる国際法上の権利、それをひっくるめて交戦権」といっているので、「自衛のための交戦権」を持ち出すことは、「非常に誤解を招くので」、そういう表現を使わずに、「交戦権」と呼ばれる総称の傘下にある諸々の国家の権利・義務のうち「武力による自衛」に必要な権利を線引きして「自衛のために必要な最小限度の実力の行使」の下で、これを「自衛行動権」と勝手に称したのです。 つまり、誤解を招かないように説明責任を全うすべき職責があるのにもかかわらず、その責任を放棄しているわけです。

 いうまでも無く、国際法のヴォキャブラリーに「自衛行動権」などという概念も権利も存在しないのです。日本だけに通じる概念であって、その異様性は「武力」と「戦力」と「交戦権」と「集団的自衛権」とに共通な独善的な日本版「解釈論理」なのです。憲法前文に掲げた高尚な理念とは裏腹に、国際平和への貢献も自らの手を汚さない範囲で線引きをする「一国平和主義」で、日本版「国際主義・国連中心主義」の欺瞞なのです。 

 本来、すべての交戦国・団体が遵守すべき武力紛争時における「武力」行動遂行に関する国際規範の総称としての「交戦権」は、敵対する交戦国のいずれかの行為・行動の起因が国際法上合法であるか違法であるかに拘わらず、交戦国双方に対して同じように適用されるという現実を無視しているのです。攻めてくる相手側が「交戦権」という総称の諸々の権利を保持し行使するときに、日本の自衛隊は守る側と同じ条件で戦ってくれと相手に願いでるのでしょうか。ゴルフのコンペではあるまいし、攻撃してくる側が不利な条件を持って守る側にハンデを与えてくれるような、そんなことがあるわけが無いのです。

 もちろん、実際には「国際法上の交戦国としての待遇は日本の自衛隊だって受けるし、また、義務は守らなければならぬと思います」と答弁をする真田法制局長官は、「ただ日本の憲法の制約があるから交戦権という言葉は使わない」ことにしているという。この理由付けは「集団的自衛権」の保持を認めるが、その行使は憲法の制約上できないという論理と全く一貫性にかけているのです。

不思議なことに、1981年4月14日の政府の統一見解では、「実際上、その実力の行使の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるから一概に述べることは困難である」と綺麗ごとを言っているわけです。守る側の「具体的な状況」とは、攻める側の戦力とその動向を踏まえた上での守る側が「その国のおかれた時間的、空間的環境で具体的に判断」されるものなのです。そして守る側の「実力の行使の態様」は攻める側の戦力に対して相応せずして「自衛のために必要な最小限度の実力」の行使にはなりえないことは明白です。これが「自衛のために必要な最小限度の実力の行使」を支える「自衛行動権」といわれるものの実態なのです。そもそも憲法第9条第2項では「一定の標準により戦力の保持という行動範囲を限定して」、その範囲に属する戦力を保持しないと規定しているのであって、自衛のための戦力はその限定された範囲に入っていないのです。その目的によって「峻別されるべき戦力」を「漠然と同一な戦力」と混同することにより、「戦力なき軍隊」から「近代的戦争遂行に役立つ程度の装備及び編成を備えたもの」としての「戦力」に至らぬ「実力」を経て「自衛のために必要な最小限度の実力」へと混同した概念の同一線上で「戦力」が語られてきたのです。まさに机上で頭の中だけで練り上げられた言語論法に過ぎないのです。まして、「わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものである」と詭弁を使う異様な態度に言葉を失います。そこには、一般に戦争法とか戦時国際法と呼ばれる戦争遂行に関する権利・義務を規定している法規範に交戦当事国双方は服さなければならない、という現実を無視しているのです。

 1954年3月15日の衆議院外務委員会で岡崎外務大臣が「法律とか、国際法とかいうものは、国のため、人間のために存在しているのであって、それが何でもかんでも人間を縛ってしまうという考えではない」という点に注意を喚起したことを思い出すべきなのです。今までの政府統一見解は法理論としては、無味乾燥な言葉の分析に終始する統語論的修辞学に基づいており、論理が堂々巡りする循環論法に過ぎないのです。言葉の分析と言葉相互間の整合性に囚われ、実際に起きている政治状況の変更を無視し組織の創り出した解釈の一貫性を大事にして来た結果なのです。1952年11月25日の法制局見解に象徴される吉田総理の意向を組み入れた「戦力」の保持は禁止されているという佐藤達夫法制局長官の「非武装平和主義」の呪縛に囚われて、身動きができなくなった結果が「別の観念」論なのです。これこそが日本の「一国平和主義」解釈の源流なのです。

 このような自らを袋小路に押し込めるような神学的原理主義を排除して、開かれた主権国家として国際社会で責任ある行動と貢献が出来るように憲法第9条第2項の解釈を第1項の解釈と整合性を持つものにしなくてはならないのです。この新たな作業のために、もう一度碩学佐々木惣一博士の「自衛戦争・自衛戦力合憲」論を紐解くことで得るものは大きいと考えます。佐々木博士は1951年1月21日付けの『朝日新聞』に発表した論文「再軍備問題と憲法」の中で、第9条第1項にある「戦争」や「武力行使」を以下のように説明しています。   

     「憲法第九条第一項では、国家は国際紛争を解決する手段としての戦争を    せ ず紛争を解決する手段として武力による威嚇または武力行使をしない、という態度を採ることを定めている。かかる態度をとることが第九条第二項にいわゆる「前項(第一項)の目的」である。・・・・ 第一項で戦争をしないとするのは、国際紛争解決の手段としての戦争をしないとするのであるから、第二項で、第一項の戦争をしないという目的を達するために、戦力を保持しない、とする場合のその戦争が第一項で放棄されている戦争、すなわち国際紛争解決の手段としての戦争であること、法規解釈の論理上当然である。ゆえに自衛手段としての戦争に用いるものとしての軍備を有することは、憲法上許される。」

 さらに、第2項の「戦力」については以下のように処理しています。   

     「国家としては、自己の存立を防衛するの態度をとるの必要を思うことがあろう。これに備えるものとして戦力を保持することは、国際紛争を解決するの手段として戦力を保持することではないから、憲法はこれを禁じていない。このことは、わが国が世界平和を念願としている、ということと何ら矛盾するものではない(佐々木惣一『改訂日本国憲法』、1954年)。」 

 佐々木博士の上記の見解はGHQ言論統制が解除された後のものです。「閉ざされた言語空間」から解放された発言はより明瞭に自らの信念を表現しているのです。同じような主旨の見解は、砂川事件最高裁の補足意見で田中耕太郎判事も「平和を愛好する各国が自衛のために保有しまた利用する力は、国際的性格のものに徐々に変質してくるのである。かような性格をもつている力は、憲法9条2項の禁止しているところの戦力とその性質を同じうするものではない」と述べているのです。

III.

 以上のような解釈の基になる根拠を第2項にある「交戦権」との整合性を論理的につけるためには、第2項の「交戦権」を第1項で放棄されている「戦争」や「武器の行使」と同じ次元で、つまり憲法で限定された「範囲」の中で考えるべきなのです。つまり、第2項で認められていない「交戦権」は、第1項で禁じられている「戦争」や「武力の行使」に係わるものであって、自衛手段としての戦争や国連決議による集団安全保障の一環としての強制措置としての武力の行使の遂行にまつわる交戦権は認められている、と理解することが目的論的解釈論として合理的なのです。 砂川事件田中耕太郎判事の補足意見でも「字句に拘泥しないところの、すなわち立法者が当初持っていた心理的意思でなく、その合理的意思にもとづくところの目的論的解釈方法は、あらゆる法の解釈に共通な原理として一般的に認められているところである。そしてこのことはとくに憲法の解釈に関して強調されなければならない」と注意を喚起しているのです。 

 このように憲法第9条第2項にある「交戦権」を第1項で禁じられている「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」に対応する「交戦権」は第2項で否認されているが、自衛のための「交戦権」は当然のこととして否認されていないのです。まさに佐々木博士が述べるように「憲法はその範囲を限定して放棄している」のです。従って、「国際紛争を解決する手段としてでなく、戦争をし、武力による威嚇をし、武力を行使することは、憲法はこれを放棄していない」のです。何故ならば、すでに述べたように、自衛のために武力行使を以って国を防衛する、ということは、実際には兵器・武器を以って攻撃相手と戦火を交える、ということであり、国際法上は武力抗争の直接的当事者の開戦行為の合法性や違法性にはまったく関係なく、交戦当事国双方は、戦争状態にあるときに、そこに従事する人・組織の全てを戦時国際法又は現在の「武力紛争法」と呼ばれる法規範(jus in bello)に服させなければ成らないのです。これが佐々木博士の説く「戦争という事実行動」を規律する法規範に服することは、「他国に対して、戦争に関して国際法上存する意思の主張を為す力」という意味の「交戦権」とは違うものである、と理解すれば、佐々木博士の戦争をする「行動」と戦争する「意思主張」との区別が具体的な意味を持つわけです。

 この戦時国際法と対になっているものが戦争自体の合法性・違法性を定める「戦争権」とも云うべき戦争又は武装兵力の行使に訴えることが許される条件を規定する法規範(jus ad bellum)で、これが佐々木博士の言う「戦争に関して国際法上存する意思の主張を為す力」なのです。現代国際秩序の下では、国連憲章第2条第4項での武力行使の禁止と、その例外事項である自衛権の行使(第51条)と国連決議による強制措置(第42条)がその核心的要素をなしています。 もちろん、「戦争」事態は違法なものとなりましたから、昔のように国家の戦争を行なう権利は現在の国際法秩序ではなくなりました。したがって、もう戦時国際法の必要はなくなったと明言する国際法学者も日本にはいたくらいです。

 しかし実際には、「戦争」という言葉を使う、使わないに関係なく武力抗争は発生します。ひと昔でも。不戦条約の下で戦争が禁止されたことを受け、「戦争」という言葉の使用を避けて「北支事変」から始まり「上海事変」を加えて「支那事変」と呼んでいたのです。事実、今でも地球上のどこかで戦争は起きているのです。その戦争状態での軍事活動を規律するのが戦時国際法であり、当然のこととして自衛隊はその国際法規範に服するのです。そもそも戦時国際法の基本的な目的がどこにあるかといえば、戦争の悲惨さ・犠牲・危害を出来る限り避け・軽減するために戦争遂行の行為・行動を規制したのです。国連憲章に基づく「戦後国際秩序」では「戦争」という言葉が使用されなくなったので、戦時国際法の変わりに「国際人道法と呼ばれる理由がそこにあるのです。

 自衛隊はその本来の国防という任務の遂行に関してジュネーヴァ諸条約を含めた戦時国際法に服す義務が課されているわけです。その具体的な結論は、1978年8月16日の衆議院内閣委員会での受田新吉委員の質疑に対する真田法制局長官の答弁にあるように、自衛隊は軍隊であり自衛官は兵士なのです。日本だけが自衛隊は軍隊ではない、と主張して、自衛官の身分を危険にさらけ出しているのです。

 もちろん、佐々木博士のように、憲法第9条を「戦争を放棄した日本の世界的使命」として、世界の平和に積極的に貢献するために「自らの自己の活動を限定し、戦争をしないといふ風に、放棄している」のであって、「単に、わが国が戦争の惨害を逃れたい、といふようなことのみから出て、戦争を放棄」しているわけではなく、「世界の平和の実現に役立つ」ために「先ずわが国自身が戦争を放棄」しているのである、と主張した時もありました(「世界平和と日本」、『朝日評論』、1949年11月号)。しかしこの主張は国防を放棄し「非武装平和主義」に徹することと同じはないのです。すなわち「自衛のためにする戦力保持は禁止されたものではない」のですから、その自衛権を発動して武力を行使することは、まさしく攻撃してくる敵国と交戦状態に入らざるを得ないるわけで、日常の言葉を使えば、戦争をせざるを得ないことなのです。ですから佐々木博士自身も、上に記した「再軍備問題と憲法」の中で「自衛手段としての戦争に用いるものとしての軍備を有することは憲法上許される」と結論を下しているのです。

 つまり、憲法第9条第2項での「戦力」とは、 佐々木博士が説くように「同条第一項で放棄している戦争や或は武力行動、詳しく言うと、国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行動やに備えるものとしての戦力である。従って、同項のいう『戦力を保持しない』というのは、第一項で放棄した戦争や武力行動に備えるものとしての戦力の保持をしないというのである。ただ単に戦力を保持することをしない、というのではない」のです。

 しかし晩年には、佐々木氏は、憲法第9条の戦争放棄を規定したことは「決して日本だけが守るべき規定」ではなく、他の国々に対しても「戦争放棄という意志を、理想を、進んでは実際上の行動をとるように」日本が働きかけることが「世界生活理想に対する日本国民の憲法上の責務」だと説いていました(「日本国民の世界生活と日本憲法))、1955年)。もちろん、「戦争放棄」の規定は憲法第9条第1項であり、ケロッグ・ブリアン条約から国連憲章第2条第4項にまでつながっているものです。しかし、世界の平和は一国だけが平和であれば実現し得るものではなく、他の国々も同じように平和を念願することを必要とします。よって、自国が他国の侵略を受けた場合に、それに対抗して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもあるのです。

IV.

 「平和主義」は一様ではないのです。無政府主義に繋がる絶対平和主義から私的、公的平和主義の分岐論を通じて最後には例外として暴力手段に訴えることを許容する平和優先主義など平和主義は多様です。それでも、平和主義論者に一般的に共通なのは、「平和主義」と「非平和主義」のごとく、あたかも「平和的手段」と「非平和的手段」との間に何らの継続性がないことです。一般に「戦争」は「平和」との反語として理解されており、「平和」に対峙する概念と見なされています。あたかも、そのような二つの概念が別々に存在しているように考えられていること自体に問題があるのです。「平和主義とは、平和的手段を持って平和という目的を達成しようとする主義主張」であり、「平和的手段」とは「非暴力手段」のことだとだと断定するとき、そこには、マックス・ヴェーバーのいう国家が「暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である」(『職業としての政治』)という認識は全くないのです。ヴェーバーの言うように、「政治が権力――その背後には暴力が控えている――というきわめて特殊な手段を用いて運営されるという事実」を理解すれば、平和主義者の提案する「非暴力戦略」の「市民的防衛」の実態が察しられます。「市民的防衛」とは市民が「集団行動として行う非暴力抵抗」であって、その「非暴力抵抗」は軍隊ではなく市民が主体となって「侵略軍を国境の外で撃退するのではなく、国境の中で撃退するという戦略をとる」ものなどと机上の空論を夢見ているに過ぎないのです(松本雅和『平和主義とは何か』2013年)。この戦略を遂行する具体的な方法は何かといえば、「パレードや監視のような非暴力的プロテスト、ボイコットやストライキのような非協力、非暴力的占拠や第二政府の樹立のような非暴力的介入」があると説明されています。 しかし、これら列挙されたどの方法を見ても、ある特定の指導者が不在のままに、組織化されていない烏合の衆だけでは実行に移すことができないものばかりです。国防戦略を遂行するためには、たとえそれが市民の手によって行われるものであっても、ある一定の組織と指導者を必要とするのです。まさに政治組織の形成と政治的支配権力の掌握です。そこでの決定的な手段は暴力であるという事実はたとえ市民的防衛集団でも避けられない現実なのです。

 いかなる暴力も、いかなる状況でも拒否するということは、暴力を勝手に行使する相手に屈することであり、無抵抗以外の手段をとらなかったという無作為が招く結果に無関心になることです。政治においては、暴力こそが決定的な手段であるということを無視しているのです。政治は権力の行使であり、その背後には暴力が控えているのであって、「倫理」の問題はこの権力の行使に関する目的と、その手段との間の緊張関係をどのように捉えるかに尽きるのです。なぜならば、政治には「暴力によってのみ解決できるような課題がある」からです(マックス・ヴェーバー、前掲)。 にもかかわらず、すべての暴力の行使を非道徳的であると拒否するものは、自らの手を汚さずに済ますという「綺麗ごと」でしかないのです。しかも暴力の行使の決断とその遂行の責任を「非平和主義者」と批判する他人に転嫁するということです。「若者を戦場に送るな!」と叫びながら平和主義を主張する人たちは、日米安保条約の下で若いアメリカ人兵士が日本の防衛戦争に参加するという現実には全く何の関心も払わないという利己的で身勝手な精神構造に気が付かない人たちなのです。

 敗戦後70年、「非武装平和主義」などという空想から覚醒して、独立国として、他人任せではなく、自ら主体的に自国の防衛を自らの手で担う決意と責任と、それに見合う努力をするときが今来たのです。###

  

フィリピン共和国アテネオ・デ・マニラ大学ロー・スクール教授。元アジア開発銀行法務局次長、総裁特別顧問、業務評価局局長、元関西学院大学総合政策学部教授