夏目漱石の個人主義と国家主義

 

夏目漱石の個人主義と国家主義

                                                             鈴木英輔

 

 夏目漱石は大正31125日に学習院で講演した「私の個人主義」(夏目漱石『私の個人主義』講談社学術文庫1978年、120頁)の中で漱石にとって「個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもない」ものであって、「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈」なのだから、これは「立派な主義だろうと私は考えている」のだという。さらに、「何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理屈の立たない漠然としたものではないのでず」と断言した。そして、「今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないようにいい振らし」「個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱道するもの」も多くいるが、漱石いわく、「そんな馬鹿気たはずは決してありようがないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります」と敷衍した。ここで漱石が言わんとしたことは、「国家主義」も「世界主義」も「個人主義」も相互に排他的なものでも、敵対するものでもないということであろう。何故ならば、個人の幸福の基礎となる個人主義は個人の自由がその内容になっている。したがって、「各人の享有するその自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりする」のであって「国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家の泰平の時には個人の自由が膨脹してくるのは当然の話」だ、と結論付けたのだ。

 そのような漱石の結論は「今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かない」とか「個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱道する」人たちを批判したものであった。その上で、漱石は再び誤解を防ぐために「個人の自由」の「個性の発展」への必要性と、その「個性の発展」が人それぞれの幸福に如何に密接な関係を持っているかを説き、「どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く。君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいか」と考えることが漱石のいう個人主義なのだ、と言明した。

 

 さらに漱石は、個性の発展のために自由は必要なのだが、義務が伴わない自由は「本当の自由」ではない、という。「そうした我儘な自由は決して社会に存在し得ない」からで、たとえそんな自由が存在したとしても、ただちに「他から排斥され踏み潰されるに極っている」からだという。漱石は、「こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです」と強調したのだった。

 

 しかし、樋口陽一によると、同じ漱石の個人主義を引用して「『個人』の欠落」を『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(岩波書店2013年、27-28ページ)で論じたが、どうも「個人主義」の意味が違うように見える。樋口の文言を以下に引用する。

 

    「個人」の欠落は、日本の知識人にとって、何よりの難問であり続けた。学習院での夏目漱石の講演「私の個人主義」(1915年刊)は、「今の日本は何うしても国家主義でなければ立ち行かない」「個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるやうな事を唱道するもの」が多いことを批判しながら、あえて「私は個人主義だと公言して憚らない」、と説いた。

 

この引用文での問題箇所は最後尾の「あえて『私は個人主義だと公言して憚らない』、と説いた」、という樋口の主張だ。漱石はそんなことは云っていない。樋口の引用文では漱石が云った「こういう意味において」という解釈を限定する句が削除されているのだ。漱石の「こういう意味において」というのは「義務心を持っていない自由は本当の自由ではない」ということであって、その言葉を抜きにしてでは、一般の読者は漱石の個人主義は国家に対峙するものと理解される恐れがある。まして、その代わりに引用者の言葉で「あえて」という副詞を被せられれば、樋口が意図する意味はさらに漱石が意味した個人主義とは著しく相違する結果になる。

 

 樋口が、「『個人』の自己主張が向けられなければならない相手は、まず国家権力である」、と主張するとき、樋口の理解は漱石の理解した個人主義とは全く異質なものだということが明白になる。漱石は国家と個人との「二つの主義はいつでも矛盾して、撲殺し合うなどというような厄介なものでは万々ない」と断言していた。すでに述べたように、漱石は「国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る」ということを当然のこととして認識していた。そして「いやしくも人格のある以上、それを踏み違えて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、疳違いをしてただ無暗に個性の発展ばかり目懸げている人はないはずです」と説明をしていたのだ。しかし、漱石は同時に「私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾が必要だといって、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えてください」と付け加えたのだった。さらに「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は到底我々に出来る話でない」と言明した。つまり漱石は、ヘーゲルが『大論理学』(第3巻、以文社、寺沢恒信訳、1999年、137ページ)で「個別的なもの」と「特殊的なもの」との関係を論じたように、「個」は「全体」の一部であって、「個」のみを推し進めれば「全体」の否定につながり、その逆も然りであることを認識していたのだ。「個」をつぶすことなく「全体」を構築することが歴史的なプロセスなのだ。その歴史的プロセスの中にヘーゲルのいう媒介としての特殊的なもの、つまり「国家」の役割があることを認識していたのだ。

 

 今年6月に全世界を震撼させたスノーデン事件(元CIA職員であったエドワード・スノーデン氏がアメリカ政府による世界的な個人情報の監視・収集活動を暴露した事件)が明らかにした冷酷な現実は、なに人も例外なく国家権力に服しているということだ。国籍を持っている自分の国から逃れようとすれば、その国家権力は国を離れた旅行者から一方的にパスポートを剥奪する。たとえ有効なパスポートなしでも空港に仮逗留できても、外国に亡命できるかどうかは、これも亡命を申請した相手国の国家権力の裁量権に服さなければならないのだ。背後に自国の国家権力が迫り、前方に外国の国家権力が立ちふさがるという現実がある。そこには、カントが『永遠平和のために』(岩波文庫、宇都宮芳明訳、1985年)のなかで述べた「訪問の権利」などは存在しないのだ。(「スノーデン事件と『世界市民』」<http://hojorohnin.hatenablog.com>

 

  漱石は異国の地で、それも英文学の本場で英文学を学び、「その本場の批評家のいうところと私の考えと矛盾してはどうも普通の場合気が引ける」と憂慮したが。こうした矛盾は本場の批評家の持つ「風俗、人情、習慣、遡っては国民の性格」など、「皆この矛盾の原因になっている」 ので、そのような価値観とそれに基づく理解と評価が必ずしも漱石のものと一致する訳ではない。そんな本場の批評家のいうことは「私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、到底受け売りをすべきではない」と結論付けた上で、「世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならない」と確信したのだ。そしてその確信は「自己本位」という四字の言葉に到達させたのだった。 自己本位という四字に導かれて「ただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎ」をするよりは、「自分で自分が道をつけつつ進」む方が満足がいくという事を悟ったわけだ。そして漱石は個人主義を実践するのは「淋しさ」が伴うものだと述懐したのだった。個人主義の下でお互いの思考の自由・行動の自由を尊重する限り、時と場合によっては一人ひとりの考え・行動がばらばらになることもある。「そこが個人主義の淋しさ」だという。それというのも「個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定める」から、「たった一人ぼっちになって、淋しい心持」になることも致し方ないのだという。その淋しさに耐え、それを克服する力こそ個人主義を育て護る本人の人格なのだ。

 

 漱石は個人主義を実践する上で大事なことがあると指摘する。それは、その基になる個人の自由を行使するには「人格の支配」に服さなければならないという。第一に自己の個性の尊重は他人の個性の尊重を要求し、第二に権力の行使には義務が付帯すること、そして第三に財力の行使には責任が伴うということを認識することが「人格の支配」であり、それを理解するのが「道義上の個人主義」だと説いたのだ。一方、国家の自由を考えると、漱石は「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもの」だと断定した。だから国家が平穏なときには「徳義心の高い個人主義」を尊重した方がよいという今日にも通用する助言がある。###